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 六花書林が初めて出した雑誌『六花』がよかった。装丁が簡素で、上品で、洒落ている。クリーム地の余白を大きく取った表紙と裏表紙は、必要な情報がパッと目に入ってくる。「六花」の二字の字体は小村雪岱の字をもとに作成した由で、暖かみがある。その字を刷るインクの色も何というのか知らないが、きれいだ。

 誌名のほかに「詩歌:気になるモノ、こと、人」という特集名が付いており、内容は評論・随筆のみ。こんなことをいうのもアレだが、短歌や俳句、現代詩の寄稿がないのがすごくいい。ことに短歌の専門誌はたいがい短歌の寄稿・投稿が多すぎるので、この際、文章にページを譲ってもバチは当たるまいと思う。『六花』、いいね。

 巻頭は松村正直「ツンデレからデレデレへ」。内田樹の発言、

 学生たちが授業を聞き流してしまうのは、先生が話していることは「自分宛てのメッセージじゃない」と判断しているからです。でも、「聞こえますか?」を「自分宛てじゃなくて、誰か別の人宛ての話なんだ」と思う学生はいません。全員が「これは自分宛てのメッセージだ」と受け取ってくれるメッセージには全員が耳を傾ける。

  (『塔』2014年11月)


を引用した後、千種創一の一首、

難民の流れ込むたびアンマンの夜の燈は、ほら、ふえていくんだ


を取り上げて、

 「アンマンの夜の燈はふえていく」であれば単なる描写の一本調子なのだが、「ほら」が入ることによって、突如、語り掛ける相手がその場に出現し、作者の肉声が立ち上がってくる感じがする。これは内田が例に挙げた「聞こえますか?」の役割と似ているのではないか。


と論じる展開が鮮やかだ。「ほら」の一語で読者もまた突如覚醒し、この歌に注意を傾ける、ということでもあろう。

 ただし、「聞こえますか?」という呼びかけ自体にとくに価値がないことは気になった。学生たちはきっと、その言葉に反応はしても、格別の刺激を受けたりはしない。千種の歌はどうか。

 松村さんのここでの目的は「ほら」の働きを明らかにすることにあり、それはよく果たされている。一首の評価はそれだけでは決まらないというのは、松村さんももちろん承知のことだろう。

 文章中に引用された千種の歌は計四首で、どれもおもしろい。千種の歌集を読んでみたい。


(2016.11.24 記)

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コメント
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『六花』をお読み下さり、ありがとうございます。「ツンデレからデレデレへ」は、わりと気楽に書いた文章でした。まさか巻頭に載るとは知らず、届いた冊子を見て恐縮しているところです。

千種創一さんの歌集『砂丘律』は、口語短歌の文体の深化を感じさせる一冊でした。ぜひ、読んでみて下さい。

140
目次の初めに松村正直・大松達知の二人だけがまず並び、掉尾に菊池孝彦一人が独立して置かれているところ、編集者の意図を強烈に感じます。

ツンツン→ツンデレ→デレデレの展開の説明は用意周到で、「気楽」な文章とは思いませんでした。しかし、筆者本人が気楽に書いた方がかえって読者にはよく伝わる、ということはあるかもしれませんね。

『砂丘律』、買って読んでみます。

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