最新の頁   »   柴生田稔  »  柴生田稔『春山』初版本の自主規制(7)
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 『春山』の初版本と改版本で字句に異同のある歌は、私の見たかぎりでは三首。

  a 

赤土の乾ける道にたつほこり霧(きり)のごとくに草に吹きゆく(初)

赤の土乾ける道にたつほこり霧(きり)のごとくに草に吹きゆく(改)


  b

くづをれてわれありたりと思はねどすがしく生きむ願(ねがひ)湧くかな(初)

くづほれてわれありたりと思はねどすがしく生きむ願(ねがひ)湧くかな(改)


  c

なほいまだナチスの民にまさらむと人は言ひにき幾年前(いくとせまへ)(初)

なほいまだナチスの民にまさらむと語り合ひにき幾年前(いくとせまへ)(改)


 このうちbは仮名遣いの訂正のみ。不思議なのはaで、改版本の「赤の土」の調子は初版本の「赤土の」よりむしろ不自然、不調和に感じられる。かつて師の選も経た言葉をここでわざわざ改める理由がわからない。誤植ではなかろうか。

 「憲兵司令部の検閲」を顧慮して「辞句を改めた歌が一首あった」というのは、やはりcを指していると見てよいだろう。(1)で触れたとおり、初出の『アララギ』1937年1月号で第四句が「語り合ひにき」だったのを初版本で「人は言ひにき」に改め、改版本で初出形に戻したものである。

 ナチス独裁下の民衆に比べればまだ我々の状況の方がましだろうと何年か前に語ったが、今ではもう同じか、それ以上だ——というのが一首の大意で、おそらく二・二六事件が背景にあるのだろう。表現内容はあいまいにぼかしてあるが、丁寧に読み解けば、これは確かに軍部への批判を含む歌である。初版本では語る主体を一人称から三人称にずらし、作者本人の思想ではないと言い逃れる道を作っておいたのだと考えられる。


(2016.12.02 記)

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