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 柴生田稔の第一歌集『春山』は、戦中の初版本(墨水書房、1941年)のほかに戦後の改版本(白玉書房、1953年)がある。両者の本文には異同があり、その主要な箇所については著者自身が改版本の後記で次のように説明している。

 「春山」を出版した時、私は陸軍予科士官学校の教官をしてをり、規定によつて私の著書は憲兵司令部の検閲を受けた。この条件を顧慮してあらかじめ収録を見合せた歌が幾首かあつたのであるが、今度の機会にその七首を補ふことにした。それから同様の意味で辞句を改めた歌が一首あったが、それも今度原発表の形に戻すことにした。


 そして、改版本巻末の近藤芳美の解説によれば、補った七首は次の通りである。

今夜(こよひ)なほくちびるふれし記憶さへこころに痛しまなこ冴えつつ

借金に苦しむわが村に日露役記念碑は督促されてこのごろ建ちぬ

日本刀をサーベルに仕込みて下げたりと何にことごとしく人は語るか

年老いし教授は喚ばれぬ一生
(ひとよ)かけし学説に忠良を糺(ただ)されむため

故知らず露兵は送られ戦ひしと我等聞かされき曾ての時は

にやにやと伯林あたりうろつきゐるその顔がまた眼に浮び来る

帽高き青年将校に向ふときのその須臾の間
(ま)の心のうごき


 差し当たって二つ、基本的な問いを出すことができる。第一に、憲兵司令部の検閲を顧慮してあらかじめ収録を見合わせたとあるが、その顧慮はどのような種類のものであったか。第二に、近藤の解説は「同様の意味で辞句を改めた歌」一首の方は挙げていないが、どの歌か。

 少し調べたかぎりでは、これらの問いに答える先行論文等は見当たらなかった。難問というわけではないし、アララギの人などには常識で、ことさらに説明する必要もなかったのかもしれない。しかし、その基本的な事柄を文章の上に明示しておく意味もあろうかと思う。

 第二の問いの答えになる歌一首をまず挙げておこう。それは『アララギ』1937年1月号初出の

なほいまだナチスの民にまさらむと語り合ひにき幾年前(いくとせまへ)


である。これを『春山』の初版本に収録する際に改作して、

なほいまだナチスの民にまさらむと人は言ひにき幾年前(いくとせまへ)


とし、改版本で再び初出形に戻したのである。


(2016.9.23 記)


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コメント
136
「なほいまだ」の歌は柴生田の代表歌と言っても良いくらいよく引かれる歌ですが、改変のことは知りませんでした。

「人は言ひにき」と「語り合ひにき」では作者の関与の度合いが違うので、歌の印象も変わってきます。

高野公彦編『現代の短歌』(1991年)や小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(1999年)では、『春山』(昭和16年)のところに「語り合ひにき」の形で引かれているので注意が必要ですね。

『名作の表現【実例】鑑賞』(2012年)で中西さんが取り上げているのが、初版本からの引用としては正しい形ということになりますね。なるほど、これはかなり大事な問題です。


137
初出形だと自分も「ナチス」云々と発言したことになりますが、それだと差し障りがありそうだということで改作したわけですね。

ちょっと分からないのは、「なほいまだナチスの民にまさらむ」の意味がそう簡単に理解されるのか、ということです。もともと相当曖昧な言い方だと思うんです。

でも、歌集出版の時点で検閲の心配をするということは、この一首の意味が検閲の担当者にも伝わると予想しているわけですよね。当時の日本人に共通の了解事項のようなものが何かあって、「ナチスの民にまさらむ」でただちに全部分かってしまうのかどうか。

そのあたり、私にはまだ謎です。

138
高野公彦編『現代の短歌』、確認しました。たしかに「語り合ひにき」の形で載っていますね。加えて、初版本になくて改版本にある歌が二首(年老いし教授は……、故知らず露兵は……)が入っています。

もちろん改版本から歌を選んでも悪くないですが、発行年の記載を初版本の方(昭和16年)にするのは不親切ですね。

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