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 『塔』に「風炎集」という欄があって、一人の作者による歌二十首が見開き二頁に掲載される。今号の空色ぴりか「コールドゲーム」がとてもおもしろかった。想定外の妊娠で退職を余儀なくされた女、の独白風の一編である。

妊娠のわかった夜はキッチンで桃剥きながらただ泣いていた


 一首目。散文風の簡潔な文体。桃は即物的で裏の意味を感じさせず、偶然にも桃太郎の桃だったという趣である。うれし涙なのか、悲しんで泣くのか、この歌だけでは判断できない。読者はただ女の泣く姿だけを想像する。

社会人三年目としてのこれからを一掃したるまさかのエラー


 二首目。「一掃」「エラー」は野球用語。試合を決定付けたエラー、それもありえないエラーとして、妊娠ないしは問題の性行為を捉えていることがこの一首で明確になる。二死満塁で外野手がフライを後逸したというようなイメージか。

 前の歌と合わせないとエラーの喩えの意味が読み取れず、一首の独立性は弱い。しかし、迷いなくエラーと断言する痛快さがこの歌の生命であって、まだるっこしい説明句の省略がその生命を支えているともいえる。

 ただ、自分の「これから」を一掃すれば自分に大量点が入り、ひいては自分の勝利になるはずなので、考えてみると複雑だ。

おめでたの言祝ぎとともにあっさりと宣告されたコールドゲーム


 三首目。前の歌の複雑さが解き明かされる。自分は九回まで行かずに終わるコールドゲームの勝者として祝福されるのだが、ゲームのこの先を経験することが許されないという意味では敗者なのである。

それからは会う人ごとに「よかったね、いつ辞めるの」と聞かれるばかり

ただひとり経理の武富さんだけがもったいないことしたねと言えり

こうやって不本意ながらわたくしは[二十六歳無職]となった


 四、五、六首目。ここでも、一首の独立性の弱さと言いたいことだけを言う小気味よさがコインの裏表のように同居している。連作中の歌なのだから、その小気味よさを喜びたい。

 なお、おなかの子の父親が全然登場しないことに注意すべきだ。妊娠して慌てて結婚届を出した、と一応解しておこう。「経理の武富さん」は職場の先輩で、独身女性だろう。

産むまでの半年たらずは退屈でほとんどなにも覚えていない


 七首目。出産まで「半年たらず」の時点で退職したということか。それまでフルタイムで会社勤めをしていたのが、何もしなくてよいことになったので「退屈」なのである。

 この歌で重要なのは「ほとんどなにも覚えていない」で、作中の現在が出産後、それなりの年数を経た時点であることがわかる。そのことが次の一首を準備する。

産むことと育てることとは別物とあなたを産んだ直後に悟る


 八首目。出産前の退屈さに比べ、育児は猛烈に忙しいので「別物」という感想になる。

 「あなた」という二人称の出現が衝撃的だ。作中の現在では、わが子はすでに対話が成立するほどに成長しているのだろう。しかも、この子どもは十分に愛されているようだ。「あなた」の一語により、すべてがオセロの駒のようにきれいにひっくり返り、現在の「わたくし」が出産とその後の歳月とをまず肯定していることが明らかになるのである。

 この後、九首目に唐突に

三年の潜伏をへて再就職しそして試合は延長戦へ


という歌が置かれ、さらにまだ十一首ある。

買ってきたダリアの苗を植え付ける "福わ内" というオレンジ色の

ナゴヤドーム帰りの子ども サイン入りメガホン首にぷらぷらさげて


等々、わが子が二十六歳を目前にしている現在の日常詠である。

 前半八首と比べ、残りの十二首はいささか興醒めに感じられた。「あなた」の一語が子育てのあれこれから再就職の可能性までを限りなく豊かに想像させた後で、この十二首は蛇足ではなかろうか。


(2016.9.19 記)

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