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 「斎藤瀏歓迎会漫詠集」(『香蘭』1930年6月)によれば、会は同年5月18日夜に開かれたという。参加者を年齢順に並べ、所属結社の機関誌名を書き添えると次のようになる(年齢は数え年)。

  石榑千亦  61歳  心の花
  太田水穂  54歳  潮音
  宇都野研  53歳  勁草(信綱・空穂系)
  斎藤 瀏  52歳  心の花
  川田 順  49歳  心の花
  吉植庄亮  47歳  橄欖(薫園系)
  尾山篤二郎 41歳 (空穂・夕暮・牧水系)
  村野次郎  37歳  香蘭(白秋系)
  前川佐美雄 28歳  心の花

 これを眺めると、いろいろな人間関係が見えてくる。

 水穂から庄亮までがいわば同世代で、瀏はちょうどその真ん中にいる。庄亮は気心の知れた仲間の中で一番年下だから、笑いの対象にしやすかったわけだ。想像するに、この歓迎会は水穂・研・順・庄亮、さらに商業誌『短歌雑誌』の編集に携わっていた尾山篤二郎が声を掛け合って計画し、順が『心の花』の親しい先輩石榑千亦、後輩前川佐美雄を呼び、佐美雄は自分一人だけがとびきり若いことに引け目を感じて、芸術派の人脈で繋がりのあった村野を誘った、といったところか。

 非アララギ・非プロレタリア・親モダニズム、そして後年の国粋主義の肯定。会の参加者の傾向を大雑把にまとめれば、そんなふうになるだろう。

 水穂・庄亮と瀏がこの十年後、大日本歌人協会に対し連名で解散勧告を出し、解散に追い込んだことはよく知られている。村野の『香蘭』は1930年当時、新芸術派の拠点の一つだった。佐美雄は言わずと知れた新芸術派の旗手で、この会の二ヶ月後に第一歌集『植物祭』を出版することになる。尾山は戦後、中城ふみ子の歌を罵倒したことが短歌史に残って損をしているが、戦前は新芸術派の数少ない理解者の一人だった。また、瀏が二・二六事件に関係して収監されたときには、尾山が真っ先に斎藤家を訪れて史を励ましたという。

 私は以前からモダニズムと国粋主義の親和性が気になっている。この会の顔触れにも、それは表れているように見える。モダニズムを捨てて戦意高揚歌を作るのか、それとも元から二つは繋がっているのか。今後の短歌史研究の課題だと思う。


(2016.8.28 記)

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