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 終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

   穂村弘『シンジケート』(1990年)82頁



 『シンジケート』の中でもとりわけよく知られた一首。山田航は、

 甘やかな相聞歌である。(略)まさに幸福の絶頂にいるときの歌だ。

 (穂村弘・山田航『世界中が夕焼け:穂村弘の短歌の秘密』新潮社、2012年)


という。確かに絶頂の後は下るのみであるし、山田は続けて、

 ……終バスの降車ボタンによってのみ照らされる。甘く美しいけれど、寂しい風景だ。終バスは、この先どこに行くのかわからないふたりの未来を暗示している。


と的確に述べてもいるが、そのことを承知した上でなお「幸福の絶頂」は違うかな、と私は思う。それは、私がこの歌を『シンジケート』の中で読んだからだろう。初めに一首単独で読んでいたら、また別の印象を受けたかもしれない。

 この歌は、『シンジケート』後半の文脈のなかにある。

朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜(79頁)

シャボン玉鼻でこわして俺以外みんな馬鹿だと思う水曜(80頁)


といった歌のすぐ後に、この歌は現れるのだ。

 紫のランプにわずかに照らされた二人の眠りは、決して幸福の絶頂にはいない二人にほんの束の間もたらされた安息である。彼らは間もなく目を覚まし、バスを降りるだろう。


(2016.8.1 記)

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