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 あれだけ桐谷侃三の正体にこだわっていた篠弘が1995年に「挫折と迷走の証明」を書いたとき、太田青丘の「T・K」説を失念していたとは考えにくい。

 可能性がより高いのは、「T・K」説の存在を篠がずっと知らないままだった、ということだろう。それで、「挫折と迷走の証明」では「侃三=水穂」説を維持したのだが、1997年に「青丘氏の犀利な歴史認識」を執筆する段になって初めて「T・K」説の存在に気付き、自説を撤回した——と考えればつじつまが合う。

 もっとも、関係資料を徹底して集めるのが篠の研究手法だったはずである。新情報を記すことが予想される青丘の文章、その青丘の主宰する歌誌『潮音』を見落としたというのも、にわかには信じられない。

 しかし、うっかり失念、よりはまだありうる話だと思う。「T・K」説を記した青丘の文章のタイトルは「潮音六十年史」で、桐谷侃三と直接はつながらない。篠の手元に掲載誌はあったはずだが、当該の文章は読み飛ばしてしまったのではないか。

 いずれにせよ、釈然としないのは、「青丘氏の犀利な歴史認識」が「侃三=水穂」説撤回の事実に全然触れようとしないことである。仮に撤回の理由が私の想像通りであったとしたら、私たちは参考文献欄から「挫折と迷走の証明」を抹消してよいことになる。しかし、その理由が明らかにならないため、篠が「T・K」説を知っていてなお「侃三=水穂」説を主張した可能性も捨てきれず、「挫折と迷走の証明」の内容も一応は検討課題として残さなければならないのである。

 なお、篠は中河与一に対しては謝罪したが、水穂に対しては一言もない。水穂はとうの昔に亡くなっているからかまわないということだろうか。

 私は篠の著作『近代短歌論争史』や『現代短歌史』等から多くを学んだものだが、桐谷侃三をめぐる一連の篠の発言を知って以来、その研究者としての姿勢に、一抹の疑念をぬぐい去れないでいる。篠がいくら否定しようとも、桐谷侃三の正体を探ることは、他人の「旧悪をあばく」ことにつながるだろう。そうである以上、研究はできるかぎり誠実でなければならないと私は思う。


(2016.6.18 記)

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