最新の頁   »   短歌一般  »  破調について(1)
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 『塔』4月号掲載の浅野大輝「「定型っぽく読める」を考える」に私はおおいに刺激を受けた。討論のきっかけになり得る文章だと思うので、塔短歌会のサイト上で読めるようになるとよいと思う。

 いろいろと考えてみると、どうも浅野と私とでは破調の捉え方が違っているようだ。浅野は破調になることよりもならないことに意義をみとめるがゆえに、「破調構造」を破調でないと感じる例を強調しているように私には見える。

 句跨りは意味のリズムなどが句のリズムよりも優先された結果として生じている……(浅野大輝、同論考)


 この仮説の提示も同様で、句のリズムの乱れ自体には意義をみとめていない。

横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ
無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ


  土屋文明『山谷集』(1935年)


 こうした字余りの歌について、浅野ならば岡井隆の「字余りのときは少しテンポを早めて」「その句の基本時間量に、大体、合わせようとする」といった言葉を引きつつ、「自然な韻律で読み解ける」と主張するかもしれない。しかし、例えば、近藤芳美は次のように述べていた。

 こうした破調を生み出させる切実な内部衝動が作者の気持の中にあったというべきなのであろう。それは満洲事変の勃発を中心とする、時代の激しい動揺と、その中にいだかれていく不安な精神がおのずから歌い出す発想であったのだろう。(『土屋文明』桜楓社、1980年)


 ここで言う「切実な内部衝動」とは、歌の意味内容の上には表し切れないものであって、「破調構造」がもたらす破調を通してしか表せないものだろう。近藤は「破調構造」と破調自体に意義を見出していたのであり、私などはそれに納得するものだ。


(2016.5.5 記)

関連記事
NEXT Entry
破調について(2)
NEW Topics
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(3)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(2)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(1)
ご挨拶
できんくなるかもしれん考
第一回BR賞並びに石井大成「〈ほんまのこと〉への機構」メモ
山崎聡子「わたしたちが身体を所有すること」メモ
「意志表示せまり声なきこえ」の解釈
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(9)
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(8)
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930