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 ギイヨオム・アポリネエルは空色の士官さん達を空の上に見き

   石川信雄『シネマ』(1936年)



 私の愛唱する歌だが、では一体何がおもしろいのか。説明しようとすると、なかなか難しい。上句は、詩人の名をそのまま口にしただけだ。空色の士官が空の上にいるというのも、言ってみれば、アポリネールの詩の趣向を引き写したに過ぎない。

 私はこの歌の無意味さを愛しているのだと思う。ギイヨオム……という音の響きそのもの。原詩の文脈を削ぎ落として、青空に何もないようなイメージ(空に空色というのだから、何も見えないような……)だけを採ったところ。

 もっとも、その無意味さを徹底させた先に、もう一つ何かがあるという気もする。斎藤史「歌集『シネマ』」(『日本歌人』1937年9月)は、この歌などを引きつつ、

 若くてもかるがるしくはない、透明でも単一では決してない、優しくても弱々しくない品性……


と評した。このような印象が生まれてくるのは、なぜだろう。

 石川の書棚にあったと想像される堀口大学訳『アポリネエル詩抄』(第一書房、1927年)と掲出歌とをあらためて比較してみると、一箇所、石川が出典の表現をみずからの表現に言い換えたと見られるところがある。

青空いろの士官どの
クリスマスから日がたてば
やがてやさしい春が来て
お前に美事なお日さまの
勲章をさへあげるだらう


  (同上書「白雪」より)


 堀口大学の訳詩では「士官どの」。それが、石川の歌では「士官さん」となっているのだ。訳詩の士官は天上でもなお威厳を保ち、「お日さま」の勲章で飾られる。一方、石川の歌の「士官さん」は、さん付けであることにより、メルヘンの世界の優しき住人に変身している。

 この歌の心が若々しく、かつ自由であることに私は引かれる。


(2016.3.21 記)

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