葛原妙子の人となりに触れた岡部桂一郎の言葉を川野里子「インタビュー 森岡貞香氏に聞く」(『幻想の重量:葛原妙子の戦後短歌』本阿弥書店、2009年)が伝えている。これが意表を突く内容で、ちょっとおもしろい。葛原の葬儀のとき、火葬場に向かうタクシーの中での発言だったという。
森岡自身は、その手の話を葛原から聞いたことがなかった由。男性中心の酒宴などではそういった話に加わることもあったということなのだろう。それにしても、葛原のする猥談とはどんなものだったのか。その中身まで伝わらなかったことは、仕方がないとはいえ「残念だ」。
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前の記事で指摘したように、この一首は古事記のスサノヲの話に取材したものだ。古事記の該当箇所は、次の通り。
五穀起源の神話から一首の素材を採るにあたり、葛原は目・耳・鼻を選ばず、陰・尻を選んだ。当時の葛原の好みが窺えて、興味深い。より直接的に性に関係する器官として、それらをことさらに選んだのだろう。
実はこれ以前に、同種の神話をもとにした一首がすでにあった。
このときは目と耳を選び、陰や尻を選ばなかった。葛原の場合、性に関わる表現は晩年に近づくにつれておおらかになった、という仮説を出しておこう。
「陰に麦生り」と同時発表の一首。大いなるものと交感するさまを詠んだ歌として、私はこれを記憶し、ときどき口ずさんでいる。
(2016.2.1 記)
「……歌壇も葛原妙子みたいな女流がいなくなって寂しいねえ。とにかく女流歌人で猥談をする人ってあの人だけだったよ。もう残念だ」
森岡自身は、その手の話を葛原から聞いたことがなかった由。男性中心の酒宴などではそういった話に加わることもあったということなのだろう。それにしても、葛原のする猥談とはどんなものだったのか。その中身まで伝わらなかったことは、仕方がないとはいえ「残念だ」。
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陰に麦生り尻に豆生りし比売をりて男神に殺さえましし
(『短歌現代』1978年2月、後に『をがたま』所収)
前の記事で指摘したように、この一首は古事記のスサノヲの話に取材したものだ。古事記の該当箇所は、次の通り。
かれ殺さえましし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕(こ)生り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆(あづき)生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。
(『新訂古事記』角川文庫、1977年)
五穀起源の神話から一首の素材を採るにあたり、葛原は目・耳・鼻を選ばず、陰・尻を選んだ。当時の葛原の好みが窺えて、興味深い。より直接的に性に関係する器官として、それらをことさらに選んだのだろう。
実はこれ以前に、同種の神話をもとにした一首がすでにあった。
殺したるをみなの目より耳より粟・稗みのり垂れたる神話
(『原牛』1959年)
このときは目と耳を選び、陰や尻を選ばなかった。葛原の場合、性に関わる表現は晩年に近づくにつれておおらかになった、という仮説を出しておこう。
ゆふさればはろけきかたに向きをればわがちちぶさのうすくひかりぬ
「陰に麦生り」と同時発表の一首。大いなるものと交感するさまを詠んだ歌として、私はこれを記憶し、ときどき口ずさんでいる。
(2016.2.1 記)
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