歌人は誰でもそういうものだろうか。葛原妙子は、雑誌・新聞に掲載された自分の作品の切抜きをきちんと整理して残す人だった。晩年の歌集『をがたま』の時期の切抜き帖は長くご遺族が保管していたが、今から十数年前、たまたま葛原妙子研究のための問い合わせをした私に保管・研究を託してくださった。『歌壇』2007年10月号掲載の「くだたま:『をがたま』拾遺」は、この切抜き帖の調査をもとにした研究成果である。
さて、この切抜き帖をあらためて繰ってみると、例の
を含む「天童」五首の切抜き(『短歌』1979年1月)もきちんと貼ってある。注意すべきは、この切抜きに作者本人による書入れがあることだ。その内容は次の三点。
①「の」を「に」へ修正
②「し」を削除
③「は」と「い」の間にダッシュを挿入
実際の書入れは、校正記号を使用してこれらを示している。③で挿入されているのは一字分に相当する長さの縦直線一本だが、ダッシュの記号と解してよいと思う。ダッシュの用例は『鷹の井戸』『をがたま』に数例ある。この書入れの指示通りに字句を修正すると、次のようになる。
その大意は、《闇夜に林檎が実ったら近寄って行って「月の女王よ」などと呼びかけるというのは——どうだろう》。これならばきれいに意味が通る。文法上の疑問点も残らない。仮に葛原が生前に自分で『鷹の井戸』に次ぐ新歌集をまとめ、この歌を収録していたとしたら、読者はきっとこの訂正後の歌を見ることになっただろう。
では、この歌の初出時の形は、本来どうなっていたのだろうか。切抜き帖の書入れが削除した「し」の一字はダッシュの誤植だった可能性が高い、と私は考えている。「し」の字の書き終わりを右に曲げず、真下に伸ばす書き方は一般に行われている。元原稿にダッシュの記号があって、植字の段階でそれが真下に伸ばす「し」の書き方に誤認された、ということではないかと思うのである。もしその推測の通りなら、歌の形は
となる。文法・意味ともに、疑問点は見当たらない。元原稿の内容の推定としては、短歌新聞社版『葛原妙子全歌集』の本文よりも穏当と思われる。
(2016.1.18 記)
さて、この切抜き帖をあらためて繰ってみると、例の
幽暗の林檎実らばよりゆきてムーンクイーンと呼ばむしはいかに
を含む「天童」五首の切抜き(『短歌』1979年1月)もきちんと貼ってある。注意すべきは、この切抜きに作者本人による書入れがあることだ。その内容は次の三点。
①「の」を「に」へ修正
②「し」を削除
③「は」と「い」の間にダッシュを挿入
実際の書入れは、校正記号を使用してこれらを示している。③で挿入されているのは一字分に相当する長さの縦直線一本だが、ダッシュの記号と解してよいと思う。ダッシュの用例は『鷹の井戸』『をがたま』に数例ある。この書入れの指示通りに字句を修正すると、次のようになる。
幽暗に林檎実らばよりゆきてムーンクイーンと呼ばむは——いかに
その大意は、《闇夜に林檎が実ったら近寄って行って「月の女王よ」などと呼びかけるというのは——どうだろう》。これならばきれいに意味が通る。文法上の疑問点も残らない。仮に葛原が生前に自分で『鷹の井戸』に次ぐ新歌集をまとめ、この歌を収録していたとしたら、読者はきっとこの訂正後の歌を見ることになっただろう。
では、この歌の初出時の形は、本来どうなっていたのだろうか。切抜き帖の書入れが削除した「し」の一字はダッシュの誤植だった可能性が高い、と私は考えている。「し」の字の書き終わりを右に曲げず、真下に伸ばす書き方は一般に行われている。元原稿にダッシュの記号があって、植字の段階でそれが真下に伸ばす「し」の書き方に誤認された、ということではないかと思うのである。もしその推測の通りなら、歌の形は
幽暗の林檎実らばよりゆきてムーンクイーンと呼ばむ——はいかに
となる。文法・意味ともに、疑問点は見当たらない。元原稿の内容の推定としては、短歌新聞社版『葛原妙子全歌集』の本文よりも穏当と思われる。
(2016.1.18 記)
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