最新の頁   »   短歌一般  »  『埃吹く街』雑感(4)「ながら」の使い方
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生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも

  近藤芳美『埃吹く街』


 劇は俳優が歌いつつ去っていく場面で幕となった、ということだが、私はこの歌を初めて知ったときから「去りながら」の「ながら」の使い方はどうなのかと気になっていた。つまり、接続助詞「ながら」の入る文は普通、

  主語+述語a+「ながら」+述語b

の形になるはずだが、この一首では、

  主語A+述語a+「ながら」+主語B+述語b

になっている。語法的にこういう言い方が可能だろうか、と疑問に思ったのだ。

 『埃吹く街』合評(四、『未来』1983年4月)を見ると、木田そのえと吉田漱がそれぞれ次のように述べている。

木田 (略)「歌ひ去りながら幕下りたれば」の接続は、主語が違うから語法上出来ない筈で、進行形のように接続させている事を今回気付いた。三句切れにするか構造を変えるべき処だと、頭を痛めながら考えた。

吉田 「幕下りたれば」はもちろん下ってくる緞帳を視覚的に訴えるけれども、転じて「幕が下りる」は、つまり「芝居が終る」という表現でもある。二重構造として上から読み下してくれば、なめらかに読めないこともない。


 やはり、同様の疑問が出ている。吉田は二番目の主語「幕」を消去することでこの疑問点を回避しようとしているが、そうやっても結局「なめらかに」は読めないようだ。


(2015.11.8 記)

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