最新の頁   »   短歌一般  »  『埃吹く街』雑感(1)ガリ版を剥ぐ音
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 三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店、2005年)の近藤芳美を論じた章を久しぶりに読み返した。例えば、

いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ

  近藤芳美『埃吹く街』巻頭歌


についての次のような論じ方——。

 「人民短歌」昭和二十一年二月創刊号における「悪いこと、みんなはねかへした あなたたちの あんなに強い力を、私は見た。」(渡会秋高)といった作品と比較すると違いがよく分かる。近藤作品からは、青年が剥ぐときのビリッという音が伝わってくる。その音が読者を新しい時代へと導く。「軍のガリ版」という言葉選びも見逃せない。ここは近藤の回想にあるように「軍の檄文」でも不可能ではない。しかし「ガリ版」を選ぶことによってその字体に手作りのリアリティが加わり、視覚的に確かなものになる。つまり近藤作品は〈もの〉の確かさによって新しい時代を表現している。「あんなに強い力を」といった概念的な表現とはそこが決定的に異なる。

  (422〜423頁)


 同時代の他の歌人を参照して近藤の歌の特徴を見定め、「ガリ版」などの言葉そのものを丁寧に読み解き——、この大著のなかでとりわけ印象深い一章だと思う。三枝の『埃吹く街』論は、さいかち真『生まれては死んでゆけ』(北溟社、2006年)などとともに、私の近藤芳美観に強く影響していることをあらためて思う。

 ただ、今回読み返してみて、「ビリッという音」に少し引っ掛かった。大学教授の論文にはまず出てこない単純明快な擬音語「ビリッ」にかつて感銘を受け、その感銘自体はいまも変わらず私の心に残っているが、一首の鑑賞としてはどうだろう。

 ガリ版は省線電車の車内に貼られていた。この電車は走行中と解した方が、一首の内容に動きが出ておもしろい。ガリ版を剥ぐ「ビリッという音」は電車の騒音に紛れてしまい、遺憾ながら他の乗客の耳には届かなかった——と思ったりもして。


(2015.10.13 記)


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