最新の頁   »   動詞の終止形に関するノート  »  動詞の終止形に関するノート(6)出来事感を作るものは何か
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 東郷氏から二度目のコメントをいただいた。叙述において出来事感を作るものは何か、という問題については東郷氏、松村さん、私の見方が大体一致したと考えてよいと思う。

 私とて、短歌における「出来事感」のすべてがル形のせいで決まるなどと考えているわけではありません。最近の口語短歌に見られる未決定性・浮遊性を醸成する一因として、結句のル形の多用があるのではないかと感じているにすぎません。

 その意味では、松村さんがおっしゃっているように、時や場所の副詞とか、固有名などの「濃い」言葉など、一首において出来事感を左右する要因はたしかに複数あると思います。また、動詞の意味によっても、出来事感の強い動詞と薄い動詞があるようです。

  (東郷氏のコメント)


 したがって、動詞終止形による文末表現を含みながら「出来事」を強く感じさせる短歌作品や俳句作品は存在する。

 引用された山口誓子の句「夏草に汽缶車の車輪来て止る」の例はおもしろいですね。この句については、私もお二人と同様に、出来事感が強いと思います。

  (同上)


 もちろん、私もまた、文末の語形が出来事感に影響しないと考えているわけではない。それはしばしば、他のいくつかの要素とともに、出来事感に影響している。

線香を両手でソフトクリームのように握って砂利道を行く

  竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』


 線香の火に注意しながら歩く姿勢と、コーンの上に巻いたクリームを倒さないように注意しながら歩く姿勢の類似。その発見が一首のモチーフだろう。本来しみじみとした気分になりそうな場面に、それとはほど遠い消費社会の生活感情が紛れ込む。

 結句が仮に「砂利道を行った」であったとしたら、ある特定の日の出来事を回想することになり、その消費社会の生活感情がしみじみとした気分、ないしはより深刻な感情に再度反転したかもしれない。しかし、特徴的な描写に乏しく、時間を指定する語句もないまま「砂利道を行く」と結ぶとき、これを毎年の墓参で繰り返される行動パターンの紹介と解する読者もいるだろう。


(2015.8.6 記)

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