最新の頁   »   動詞の終止形に関するノート  »  動詞の終止形に関するノート(1)東郷説と松村説は同じか
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 松村正直さん、ならびに東郷雄二氏から前の記事に丁寧なコメントをいただいた。お二人に感謝しつつ、あらためて私の疑問を整理することにしたい。


     §


 東郷説はあくまで《ル形は基本的に「未然・習慣」の出来事を表す》という一点から出発しているように見える。その基礎理解が揺るがないので、

 引用された土岐善麿の歌で、もし結句を「いひき」か「いひにき」としたら、それは過去の一度きりの出来事になります。(6月30日付の記事へのコメント


といった説明になる。

 一方、松村説は東郷説に賛意を示しつつも、実際の表現からその解釈を考えるという立場のようだ。それで次のような言い方になるのだろう。

 「落ちる」と「落つ」、「食べる」と「食ぶ」を比較した場合、その出来事感には明確な差があるように感じる。(「口語短歌の課題」、『現代短歌新聞』40号)

 出来事感については、もちろん、動詞の「ル形」(略)だけの問題ではなく、歌の中に時を限定する言葉があるかどうか、固有名詞などの「濃い」(?)言葉が使われているかどうか、といったことも関係していると思います。(6月30日付の記事へのコメント


 東郷氏は「落ちる」と「落つ」の差をみとめないのではないか。


(2015.7.13 記)

関連記事
NEXT Entry
動詞の終止形に関するノート(2)ル形は基本的に「未然・習慣」を表す、のか
NEW Topics
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その一
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その六
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その五
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その四
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その一
文語を識別する浅野基準について(3)
コメント
104
私が時評に書いた「さらに私の印象で付け加えるならば、特に口語の上一段活用と下一段活用の動詞にその傾向が強い」というのは、たぶん誰も言ってないことだと思います。これは、私の実作の上での感覚であって、理論的な裏付けがあるわけではありません。

どうなんでしょうね。みんなに聞いてみたいところです。

「ル形」については、例えば「太陽が(は)東から昇る」と「太陽が今、東から昇る」では、出来事感が違いますね。あるいは「太陽が(は)東から昇る」と「太陽が大岩山から昇る」でも、出来事感が違う気がします。

105
早速コメント、ありがとうございます。
明日また更新するつもりなので、どうぞお目通しを願います。

ほんと、いろいろな人にどう感じるか訊いてみたいです。「太陽は東から昇る」と「太陽が大岩山から昇る」は確かに違う気がします。

「いまや悠々と太陽が昇ってゆく」は現在進行ではないですか。補助動詞の「ゆく」は一種の状態動詞なのかもしれないですね。

Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930