最新の頁   »   短歌一般  »  一ノ関忠人「余白の春」覚書
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姉を亡くす妻のかなしみかかるときよりそふほかに何なしうるか
おのづから今年も春は到るべしかなしくはあれど梅はほころぶ


 (「余白の春」、『GANYMEDE』2015年4号)


 連作として読むなら、二首目の「かなしくはあれど」は、一首目の「かなしみ」を踏まえた表現ということになりそうだ。春はささやかな慰めであり、梅はその具体的な印。

 しかし、二首目を単独で読むなら、どうだろう。春の到来自体が悲しく感じられることにならないか。この場合、梅は春が見せるもう一つの顔。時が過ぎるのはつらいが、そのなかにまた喜びもある、と。

 いや、連作として読んでも、後の解釈の方がよいか。


(2015.5.31 記)

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