最新の頁   »   短歌一般  »  「想ひ見るべし」考(3)「べし」の意味を問うこと
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 そもそも文法書のように「べし」の意味を細かく分けて考えることにどれほどの価値があるのか、私は疑問に思っている。

 この語は未来を確信的に想像するもので、それが場面や人間関係、話の流れによって意志の意味になったり、当然の意味になったり、推量の意味になったりする。しかし、実際の場面や人間関係は、学者の頭脳のようには単純でない。

 意志と当然の意味が混じり合い、適当と命令の意味が溶け合っているのが、むしろ「べし」本来のあり方ではないのか。もし古人がそれらの意味の区別を厳格に要求するものであるなら、彼らはなぜそれらの意味を執拗に同じ語で表し続けたのか。

 現代語の使い手も無意識のうちに理解しているはずだ。例えば、木俣修『近代短歌の鑑賞と批評』は、「想ひ見るべし」を

 感じとるがよい (287頁)


と訳した後で、実はただちに

 感じとるべきだ (同上)


とも言い換えていた。吉川宏志は、永田和宏『近代秀歌』(岩波書店、2013年)の

 しずかに想い見るべきだ (181頁)


という解釈には異論を述べない。他方、

 見えないものを見ようとする強い意志を、私はこの歌から感じるのである。


と記す吉川は、「感じ取ろう」といった現代語訳も許容するはずだ。それで一向にかまわないというのが私の考えである。


(2015.5.11 記)

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