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 ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり

   穂村弘『シンジケート』(沖積社、1990)



 山田航によれば「この歌のポイントは三つある」(穂村弘・山田航『世界中が夕焼け』。以下も穂村・山田の発言の引用は同書から)。

 まず「嘘つきは泥棒のはじまり」と「どらえもん」との掛詞である点。次に「どらえもん」が「ドラえもん」ではなく平仮名表記である点。最後に日本語的には不用とも思える「ハーブ」のリフレインである。



 さて、山田のこの的確な指摘の後では蛇足のようになってしまうが、私には別にもう一つ気になる「ポイント」がある。第3句の「春の夜の」である。

 これは、ハルノヨルノ、と読むのだろうか。それとも、ハルノヨノ、だろうか。前者なら口語風、後者なら文語風。いまの穂村ファンはどちらで読んでいるのだろう。

 私の読み方は文語風の、ハルノヨノ、である。初めて『シンジケート』を手に取ったときからとくに意識することなくそう読んできたのだが、あらためて検討してみても、ハルノヨルノ、と読む気にはならない。

 理由はいくつかある。(1)わざわざ字余りで読む気になれないこと。(2)第4、5句の句またがりを句またがりとしておもしろく感じるためには、他の句は定型どおりであってほしいこと。(3)直前の「つつ」が文語と口語の中間のような語であり、夜(ヨ)も同様であって、両者のつながりが自然。(4)『シンジケート』のところどころに伝統的な主題や語法が残存しており、ここもその一例と見られること。

 このうちで私が強調したいのは(4)である。 

糊色の空ゆれやまず枝先に水を包んで光る柿の実



 同じ歌集中のこの歌について穂村自身は、「写生をやろうと」したのが「微妙に色気が出ていて」「やっぱりできてない」、と言う。自身の歌について、また写生の本質について、おそろしいまでによく見通すことができている人の言で、これが穂村の穂村たる所以なのだろう。それはともかくとして、この歌をみれば、写生を主題としたことは分かる。語法の点でも、「空ゆれやまず」の助詞の省略の仕方や助動詞の使い方が文語風だ。

 古典和歌や近現代短歌から「春の夜の」という表現の例を探すと、

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる
  (凡河内躬恒、『古今和歌集』)

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
  (大江千里、『新古今和歌集』)

背のびして口づけ返す春の夜のこころはあはれみづみずとして
  (中城ふみ子『乳房喪失』)



というように無数にあり、それらの読み方は、ハルノヨノ、だ。穂村の「春の夜の」もまた、その伝統を受けたものと見た方がよいだろう。

 穂村はこの歌について、

 この歌のテーマって季節感なんです。言いたいのは春の夜ってこんな感じっていうこと。

 春の夜の感覚は、ドラえもんのポケットからは何でも出てくるというその全能感。

 まったりした空気感みたいな。



と言っている。私が引いた躬恒・千里・中城ふみ子の歌の主題は、いずれも「春の夜ってこんな感じ」。そして、それがどんな感じかは結局、躬恒から穂村まで変わらないように思われる。

 言うまでもなく、穂村本人が「穂村弘の磁場」(山田航)のなかで短歌を作り始めたわけではない。穂村は穂村以前の文芸の影響を受けていた。「穂村弘の磁場」に引き寄せられて短歌を作り始めた近年の若手歌人は、その伝統をも受け継ぐものだろうか。


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