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 肝心の作品に対する批判的見解も、史の胸のうちにはあったらしい。雨宮雅子『斎藤史論』付載の談話で、史は次のようにも述べていた。

 ……葛原妙子さんの歌が、あるとき日本語の曲線をへし折っているのね。それはそれでおもしろさを出しているのはわかるの。でも感覚としておもしろいと思いながら、ことばとして無理があると思った。葛原さんがどんな基礎をもっていらっしゃるか、わたくしはそれ以上はいえないけれども、わたくしたちが使うのは日本語だから、しかも、それはことばそのものではなく短歌なのだから、曲線のへし折り方にも、折りあいがあっていいと感じたことがありましたね。(178-179頁)


 こちらは人格批判でなく、作品批判だから、はばかることなくその名を明示している。「日本語の曲線」とか、それを「へし折っている」とかは独特の言い回しだが、何を言おうとしているのか、解釈の余地がある。同じ談話で、

 日本語のリズムには外国語の韻律ともちがう内在的な音楽があるし、余韻がある、ということね。(略)だから、意味だけのことばでつづった歌とか、ことばをポキポキ折り散らしたような歌など、わたくし、どうしてもたのしめないのね。といって古典一点張りでは、とてもすみませんから、わたくしも時にへし折るようなことはやるけれども、そのなかで大切なのは、ことばの美しさということじゃないかしら。(177-178頁)

 
といったふうにも語っている。史自身の作品を理解する上でも、示唆を与えてくれるところだろう。ともかく、その「美しさ」がない、ということを史は否定的に捉えているのだ。

 作品に対するこの本質的な違和感に、作者の人となり、歌壇内評価の高さへの違和感が入り交じって、対談を拒否するような感情が生まれたものと思われる。

 なお当然ながら、その人となりとは、つまり史の目にはそう映り、史の耳にはそう聞こえてきたということだ。


(2015.5.2 記)

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