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 さる歌人のポートレートにターバンを巻いた後頭部だけが写っていたことを思い出した。あんなふうに顔を写さないことにも意味があったとみとめなければならないだろう。

 だからといって、

 今や「有事」はもう、そこまで来ているのではないか。(松村由利子「日々のクオリア」2月2日付)


などという言い方は単純素朴に過ぎて、とても同調する気になれない。平和も戦争も、常にそこここにあったはずだ。それよりも、たとえば、

 海外はもともと十分に危険を伴う地域があることは日本人はみんな知っている。(略)今まで通り安全に配慮し、旅行に行きたければ行き、取材したければ取材したらいい……(長谷川豊「本気論本音論」2月1日付)


というような冷静な見方に学びたい。


(2015.2.4 記)

 
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