最新の頁   »   アンソロジー  »  永田和宏『現代秀歌』覚書その6:清原日出夫の作風
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 六〇年安保闘争詠として、本書は岸上大作の歌とともに、清原日出夫の一首、

何処までもデモにつきまとうポリスカーなかに無電に話す口見ゆ


を採る。清原の作風を評して、

 岸上とは対照的に、自己の思想表現を厳しく抑えつつ、客観的に社会の動きを詠む……(139頁)


としているのは大方の賛成するところだろうが、上の一首について、

 ここではいっさいの感情を交えず、車の薄闇のなかに「無電に話す口」が見えたことだけが詠われる。(140頁)


と読み解くのはどうか。よいもの、うれしいもの、ありがたいものを主語にして「つきまとう」とは言わない。

 デモの周辺で警察が警備に当たるのは、その限りでは公共の安全と秩序の維持のために当然のことだろう。まして現場の警官一人一人は、職務命令に従ってそこに来たに過ぎない。それを「何処までもデモにつきまとう」と見るのはデモ参加者の側の視点であって、その表現には彼らの感情が入り込んでいるように思える。

 当時の状況から、デモ参加者が警察を敵視したであろうことは理解できる。他の学生歌人の歌と並べてみるとき、この一首が比較的客観描写に傾いていることも確かだろう。しかし、「いっさいの感情を交えず」は、作品の解釈としてどうか。


(2015.2.8 記)

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