最新の頁   »   アンソロジー  »  永田和宏『現代秀歌』覚書その3:「分去れ」という言葉など
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 「てのひらに」の歌について解説するなかで、皇后陛下の歌をもう一首、永田は引いている。

かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ

  『瀬音』


 平成七年の文化の日の題詠とのことだが、これもまた背景に物語を想像できる歌である。永田は、

 当然のことながら、それは皇太子妃になるかどうかという選択であったことだろう。(15頁)


と推測する。なるほど、そう解するとまことに印象深い歌になる。

 なお、「分去れ」について永田は、

 広辞苑には「別され」として、分家、わかれの意味をあげているが、私は、文字通りの分かれて去っていく道ととっておきたい。(同頁)


と説明している。後の解釈はもちろん正しいが、前の広辞苑云々は、あらら……。私の狭い部屋にはないが、永田家か塔事務所の書架には『日本国語大辞典』があるはずだ。その第二版第十三巻の1255頁に、方言で

 追分。


の意味だと書いてある。

 想像を広げれば、この語の向こう側には軽井沢の記憶がひそんでいるのではなかろうか。かの「テニスコートの出会い」をした町には中山道と北国街道の追分があり、その追分をとくに「分去れ」と呼ぶ。関西に生まれ育った永田は、軽井沢になじみが薄いのかもしれない。

 「いづこ行きけむ」が惜しい。副詞として「どこへ」の意味で使うなら、「いづこ」より「いづち」の方が自然だ。


(2015.1.29 記)

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コメント
73
ちょうど今、「『現代秀歌』を読む会」というのを月に一度やっていて、先日、第一章の「恋・愛」を読んだところでした。
「分去れ」には、そういう意味があるのですね。なるほど。
塔事務所には残念ながら『日本国語大辞典』はないのですが、ネットで検索すると確かに出てきます。「軽井沢の記憶」まで踏み込んで読むと、さらに味わいが増しますね。


74
本当だ! 『デジタル大辞泉』の「わかされ」の項に「《群馬から長野にかけての方言》道が左右に分かれるところ。分かれ道。追分。」と書いてあるのですね。紙版の『大辞泉』にそういう記述はないはずですが……。改訂の頻繁なオンライン版の辞書が紙の辞書を凌駕しつつあるようです。「群馬から長野にかけて」というのは、軽井沢もぴったり該当するので興味深いです。

読書会をされているのはよいですね。

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