最新の頁   »   短歌一般  »  宮柊二の姉の写真など
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 宮柊二の姉カウの写真が『若き日若き歌:群鶏自註』(本阿弥書店、1988年)に載っているのを見て、その顔立ちの美しさに驚いた。写真館で撮った写真で照明や背景がよく決まっているせいもあるのだろうが、それにしても都会のフラッパーから遠く隔たって、まるで菩薩さまのよう。


     §


 周知のとおり、『群鶏』(1946年)にこの姉をモデルにした一連「姉と瀬鳴り」がある。
 

くれぐれの職員室に残りゐて暗く顔上げし姉と対ひぬ


  「姉と瀬鳴り」より


 「職員」はあらゆる業界にいるが、「職員室」という語は「学校で、教師が授業以外の校務にたずさわる部屋」(デジタル大辞泉)に限られるようだ。引用歌も、教師として働く姉を訪ねた折りの作、ということになる。

 他の教師が去った後になお残業をしている姉のもの静かなたたずまいが一首のモチーフだろうが、結句の「対ひぬ」が全体の印象を平板にしてしまったか。この歌よりも、前の写真一枚の方が姉の人柄を雄弁に伝えてくれるようで、惜しい。


     §


 筑摩書房版『現代短歌全集』で『群鶏』の解題・解説を確かめようとしたら、なんと『群鶏』は収載されていないのだった。これにも驚いた。この全集から漏れている有名歌集の第一だろう。

 同全集第十巻(1946〜49年の部)には宮柊二の歌集から『小紺珠』『山西省』の二冊が採られている。たいていの歌人は一巻に一冊までだが、この巻では近藤芳美も『埃吹く街』『早春歌』の二冊。しかし、紙数の都合もあり、さすがに柊二の歌集だけ三冊採ることはできなかったのだろう。

 『山西省』は出征体験を題材にした特異な内容のものだから外せない。もう一冊、『群鶏』と『小紺珠』のどちらを採るかで編纂者の議論になったことは想像に難くない。「戦後派」と呼ばれた宮柊二の歌集であるだけに、その時代との関わりを重く見て、戦前・戦中の作が中心の『群鶏』を外し、戦後の作を収録する『小紺珠』を採ったものか。


(2014.12.30 記)

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