最新の頁   »   新芸術派(石川信雄・斎藤史・前川佐美雄)  »  石川信雄と斎藤史 その八
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 石川信雄『シネマ』の巻頭歌は、
 

春庭(はるには)は白や黄の花のまつさかりわが家(いへ)はもはやうしろに見えぬ



 初出を知らないが、私が未見の『短歌作品』1巻3号(1932年)かもしれない。
 

フランスの租界は庭もかいだんも窓も小部屋もあんずのさかり

  斎藤史『魚歌』



への影響を指摘する論考をどこかで読んだ気がするので、ちょっと探してみたが見つからなかった。どなたかご存じないですか? 

 確かにこの二首の用語は似通っているが、一方でその違いも見逃せない。「わが家はもはやうしろに見えぬ」は、生まれ育った家への反抗、過去の自分の生き方からの脱却などを表していると読める。モダニズムと単純に戯れているだけではないのだ。

 対する史の歌には、モダンへの憧れからはみ出す何かがない。どちらが垢抜けているかといえば、それは史の方だろう。加えて、「租界」の「あんず」といった具体の重しを付けて一首の印象を鮮明にする辺りは、早くも佐美雄や石川の亜流にとどまらないセンスのよさを示している。


     §


 ところで、「フランスの租界」の歌の一つの特徴は、「も」を四度も繰り返して場所を列挙する言い回しにある。これについては、『シネマ』の次の一首を参考に挙げておきたい。
 

新聞よ花道よ青いドオランよパイプよタイよ遠い合図よ



 こちらは、「よ」を付けて事物を列挙するだけで一首を成り立たせている。当時にあっては、ずいぶん思い切った作と見られただろう。

 初出は「新聞よ」が『短歌作品』2巻1号(1932年1月)で、「フランスの」が同2巻3号(同年3月)。また、史の「歌集『シネマ』」はこの「新聞よ」を引いて、
 

 人の作品ながら、これはもうその頃の私にはいつも髪にさす花のかんざしのやうに身近いものに思はれた。



と告白している。両者の影響関係を想定しない方が不自然というものだ。


(2014.12.21 記)

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