最新の頁   »   短歌一般  »  松村正直『午前3時を過ぎて』注釈ノート(続5)
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 中立の立場に立つとひとは言えど路地を濡らしてゆく昼の雨

   『午前3時を過ぎて』218頁



【語注】


 中立——
『広辞苑』第五版には、

 いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと。国際法上、国家間の紛争や戦争に関与しないこと。いかなる軍事同盟にも参加しないこと。


 
とある。前の意味でなら日常生活でも使えるが、その場合でも後の「国際法上」「いかなる軍事同盟にも」の語感は残りそうである。

 となると、この語は家庭内や私的な友人関係では大仰すぎて使いにくく、社会生活における、より公的な組織に関わる場面などで使いやすい。この一首の「中立」も、そのような場面での発言を想像すればよいのだろう。

 ちなみに、『塔』のような大人数の結社に関わる場面では使いやすいかもしれない。


 濡らしてゆく——大雨にしても長雨にしても、路地がすでに濡れ切っているときには「濡らして」という認識が生まれないはずである。これは降り始めの雨だろう。しかも「〜てゆく」には、時間をかけてそうするという含みがありそうだ。だから、これは小雨だろう。


 昼の雨——とくに「昼」というのだから、雨が降っても暗くなく、寒くもない情景が想像される。



【鑑賞】

 第三句の逆接表現を受けた語句が第四句以下になく、代わりに「路地を濡らしてゆく昼の雨」とくる。この雨の風景を「ひと」の実態やら自己の心情やらの比喩と取ると、歌の世界が狭くなってつまらない。そのひとは中立でない、と言いたいのは明らかなのだから、その語句を省略して風景の叙述に転じたと解したい。

 その転じ方が自然でうるさくないところに、この歌の妙味もあるように思う。雨の様子が自己の心の有りように影響していると想像する自由は、もちろんある。

 ところで、「ひとは言えど」の逆接表現を消去して、試しに「ひと言えり」などに置き換えてみたら、歌意はどうなるだろうか。思うに、その場合でも、中立でないとの含意は変化しない。それはむしろ、ことさらに言うまでもないこととしてきっぱりと強調されることになる。

 この歌の「ひとは言えど」という表現を、私は支持する。この表現には、しまいまで発言することをためらう心の動きが表れている。要は、弁舌さわやかな人とそうでない人がいて、私はどちらの人が好きかという問題だ。



(2014.12.9 記)

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