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 連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音

   佐藤佐太郎『帰潮』1952年


 松村さんのブログがこの歌の助詞の使い方に注目している。松村さんによれば、試みに助詞を入れ替えて「連結を終りし貨車に」と改作してみると、「非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる」という。
 

 本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。

  松村正直「やさしい鮫日記」2014年11月30日付



 「貨車は」が主語かと思って読んでいくと、結句に至ってようやくそうではないと分かる。しかもなお、一首の意味はやや分かりにくい。「ねじれ」と「違和感」である。

 さて、分かりにくい方がおもしろいとは、どういうことか。

 佐太郎の歌と松村さんが試みた改作は、一応同じ情景を表したものと解しておこう。つまり、貨物列車の最後尾に新たに一両連結したとき、その音やら振動やらが連結済みの十数両に次々に伝わってゆく、ということである。

 では、「貨車に」と「貨車は」の違いは? 「貨車に」とすると、一首の中心は「音」になり、その背景が「貨車」。ところが、「貨車は」となると、貨車自体が中心であって、音はその一時的な付随物に過ぎない。

 読者の側から言えば、まず貨車の存在感を感じ、ついでその情景に音が変化を与えるのを楽しむということになる。そして、貨車の存在感があればあるほど、音のイメージを楽しめるようだ。松村さんのいう「味わい」とはこの物体の存在感、言い換えれば、情景の生々しさのことではなかろうか。


(2014.12.2 記)

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