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箸の先に黄身を割りつつすき焼きにときめくという思いを持たず

  『午前3時を過ぎて』135頁



【語注】

 箸の先に黄身を割りつつ——
現にしつつある動作。卵の黄身を少し崩す程度で、完全には溶いてしまわないのだろう。人それぞれの好みがある。 

 すき焼きにときめくという思いを持たず——取り鉢の中で黄身を崩しているときに頭をよぎった感想。


【鑑賞】

 単にときめかないだけなら、それを自覚することもないはずだ。わざわざ「ときめくという思いを持たず」というからには、その自覚を促すような存在——つまり、逆にすき焼きにときめく人——が身近にいるにちがいない。

 なるほど、私なども、すき焼きと耳にするだけで大いに「ときめく」。母が父と結婚するときに実家から持ってきたすき焼き用の鉄鍋があって、私が幼かったころ、週末の夜などによく家族みんなでその鍋を囲んだものだ。そう、すき焼きは家族の記憶とつながっている。湯豆腐やキムチ鍋もわるくないが、子供心にもより贅沢な感じがしたすき焼き。大人になってもときめくわけだ。

 人がそうであることを知っていて、自分はそうではないという。それが「ときめくという思いを持たず」だ。

 黄身を割る動作が、溶く動作に比べて小さく、遅く、静かであること。ひとりひとり取り鉢の中ですることであり、鍋の上ですることではないこと。どちらも、すき焼きにときめかない人の孤独を印象的に浮かび上がらせる効果がある。

 ささやかな感情の波を表す歌としては、「思いを持たず」がややきっぱりと言い切り過ぎていて惜しい。


(2014.11.27 記)

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