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狂うことなくなりてより時計への愛着もまた薄れゆきしか

  『午前3時を過ぎて』(2014年)208頁



【語注】

 狂うことなくなりて——
 1970年代から普及したクォーツ時計のことだろう。前田康子は、

 電波時計のことだろうか。誤差を自動修正する機能があり時刻を狂わずに表示してくれる。



と記している(「日々のクオリア」2014年5月12日付)が、電波時計はもっと最近の品物で、歳月の流れを感じさせる「薄れゆきしか」の語感に合わない。

 それに、時計への愛着などは、電波時計の普及以前にすでにほとんど失われていた。かつて、機械式時計が主流だった時代には、置き時計は結婚祝いに贈られ、腕時計は勤続何十年の記念品だった。それがクォーツ時計の時代になり、時は移って、駅前の地下通路の仮設店に一点千円の格安腕時計が並ぶことになった。電池交換に千円かかるので、電池切れのたびに新しい時計を買うようになった。

 薄れゆきしか—— 文末の「か」に詠嘆の意を込めている。


【鑑賞】

 一首のテーマは、進歩することの寂しさ、正確であることの寂しさだろう。もちろん、単に値段の問題だけでもない。機械式はよく進み、よく遅れ、よく止まった。始終ネジを捲かねばならなかった。しかし、手間がかかる分だけ、愛着も湧いたのだった。
 

 この時計と人間の関係が現代のさまざまなことの関係性へも関連して歌が読める……



という前田の鑑賞(同上)に賛成だ。この歌は具体的であると同時に、寓話的でもある。「狂」の字から歌い起こし、「時計」の一語を第三句まで出さないことが、寓話性を高めているようだ。


     §


 『塔』8月号に掲載された拙稿の続きです。


(2014.11.23 記)

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