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 そもそも、三枝の早い時期の著作には、もっと別の見立てが示されていた。1993年刊行の『前川佐美雄』には次のように記されている。

 佐美雄、哲久、史、佐太郎という現代短歌の代表歌人は、自身を代表する歌集を期せずして、昭和十五年に出したことになる。この足並は個々人にとっても、もちろん期せずして、だろう。しかしながらこれだけ重なればそこには、”期せずして”を越える史的契機が生まれてくる。(略)昭和二十三年の宮柊二『小紺珠』、近藤芳美『埃吹く街』も、二つ並べばそこに戦後短歌の出発という気配が確かに立ちのぼる。では、佐美雄や哲久たちの”期せずして”はどのような史的契機として位置付けることができるのだろうか。

  (『前川佐美雄』五柳書院、1993.11、201頁)



 要するに、こうである。宮柊二や近藤芳美がおのおの「戦後短歌の出発」などということを意図して歌集をまとめたのではない。しかし、二人の歌集が偶然同年にそろって出たことで、結果的にそれらを「戦後短歌の出発」と位置付けることが可能になった。同様に、佐美雄らが何らかの共通の事情でもって1940年に歌集をまとめたのではない。しかし、彼らの歌集が偶然同年に出そろったことで、結果的にそれらを一つの「史的契機」として位置付けることができるだろう——。

 現在の三枝説はそこに何らかの共通の事情を見ようとするものであるから、それとの違いは明らかである。

 このときの三枝は、1940年の佐美雄らの歌集にどんな「史的契機」を見ようとしていたのか。同書において、三枝は『新風十人』を現代短歌の出発点として評価する菱川善夫「現代短歌史論序説」(『現代短歌:美と思想』)を引用し、次のように述べている。

 時代の危機が個人と詩を追いつめた時に、すぐれた歌人たちの歌にあらわれた象徴的美の表現、人間の危機と詩の危機の重なりの中から生まれた危機美学の成立、これこそ現代短歌の出発点に据えるべきものである、と菱川は主張している。菱川のこうした観点からは、佐太郎の本質は、〈茂吉——佐太郎〉という師弟の系譜の方にではなく、〈哲久・佐美雄・佐太郎〉という同時性の方にあるということになる。
 (略)短歌史の問題としての近代と現代の境界は、前衛短歌説を中心に据えながらも、それを『新風十人』説で補強する観点、そういったアウトラインを私は大切にしたいと思う。



 つまり、1940年の佐美雄らの歌集出版を現代短歌の一つの原点として位置付けようというわけである。

 その位置付けの根拠となる「危機美学の成立」は、ここではあくまで作品内部の出来事として捉えられている。そして、1940年に歌集の出版時期が重なったことは偶然ではあるものの、それらの歌集の傾向が共通することから、その共通性を象徴する出来事と見なし得る、というのだろう。

(続く)

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