最新の頁   »   短歌一般  »  倉田千代子さんの歌
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 ある平日の昼間に、たまたま岡野弘彦の講義を聴く機会があった。今から思うと、それは1996年の夏のことだったようだ。

 冒頭から、講義のテーマとは違う話が始まった。倉田千代子さんの遺歌集『風の森まで』の紹介だった。「私のところで歌を作っていた人で、三十五で病気で亡くなってしまったんですけれども、今度遺歌集が出たんです」といった言い方をされたような気がする。

 無口な人で、***の帰りに一緒にタクシーに乗ったことがありましたけど、隣りに座っても全然しゃべらないんです、ああいう人はちょっと、いないですね——というようなことも口にされた気がする。

 「ああいう人は」の言い方は、見下げる感じではなかった。逆に敬愛にも似た気持ちが伝わってくるようだった。

 迢空の歌を読み上げるときと同じ調子で、歌を三首読まれた。うち二首は、
 

少年の氷(ひ)のごとく清きまなざしを恋ひつつ行かむ風の森まで
現し身を削ぎてうたはむ歌はずば絆断たるるわれらと思ふ



 三首目は確か、結句に「〜てゐよ」とくる歌だった。

 三首ともに印象深く、心に残った。一度耳で聞いただけなのに、それから数年間、私はずっとその三首を空で覚えていたのである。

 しかし——年月はさらに流れ、いつの間にかそれらの歌の言い回しも忘れてしまった。かろうじて記憶に残ったのは、倉田さんの名前とわずかな語句の断片、それから冷たい熱(?)のような感覚。

 一ノ関忠人さんが砂子屋書房のサイト上に一首鑑賞の文章を連載中だが、先週更新のページで倉田さんの歌を取り上げている。上記三首のうち前の二首がそこに引かれていて、ああこれだった、と思い出した。倉田さんの名前と歌を、私は初めて文字で読んだ。


(2014.10.21 記)

関連記事
NEXT Entry
石川信雄と斎藤史 その七
NEW Topics
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(3)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(2)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(1)
ご挨拶
できんくなるかもしれん考
第一回BR賞並びに石井大成「〈ほんまのこと〉への機構」メモ
山崎聡子「わたしたちが身体を所有すること」メモ
「意志表示せまり声なきこえ」の解釈
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(9)
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(8)
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930