暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな
葛原妙子『朱霊』1971年
もしもそのような異説があるならば——と仮定するわけだから、作中の論理としては、そのような異説は存在しないということになる。しかし、実際のところはどうなのだろうか。
塚本邦雄『百珠百華』(1982年)は
と記すだけで、何の文献も挙げていない。川野里子は、明治書院版『名歌名句大事典』(2012年)の当該の項で、
としている。どこかに出所があるのだろうか。
これまでおそらく報告されていない一つの先行テキストを、ここに挙げておこう。それは、太宰治の短編小説「古典風」である。
ブラゼンバートは、ネロの父君との設定である。史実ではネロの父は別の名のようであり、「ブラゼンバート」なる名と柘榴の話に典拠があるのかどうか、私は知らない。ちなみに、母の名「アグリパイナ」は史実のとおり。
いずれにせよ、息子の話と父の話という違いはあるものの、掲出歌と太宰のこの小説の記述とは、内容がよく似通っている。掲出歌の一切が作者自身の想像力にかかっていたとは考えにくい。
(2014.10.13 記)
葛原妙子『朱霊』1971年
もしもそのような異説があるならば——と仮定するわけだから、作中の論理としては、そのような異説は存在しないということになる。しかし、実際のところはどうなのだろうか。
塚本邦雄『百珠百華』(1982年)は
確かに、そのやうな異説があつたとしたら、楽しくもあり美しくもある。
(154頁)
と記すだけで、何の文献も挙げていない。川野里子は、明治書院版『名歌名句大事典』(2012年)の当該の項で、
この「異説」の出所はわからない……
(658頁)
としている。どこかに出所があるのだろうか。
これまでおそらく報告されていない一つの先行テキストを、ここに挙げておこう。それは、太宰治の短編小説「古典風」である。
ネロが三歳の春を迎へて、ブラゼンバートは石榴を種子ごと食つて、激烈の腹痛に襲はれ、呻吟転輾の果死亡した。アグリパイナは折しも朝の入浴中なりしを、その死の確報に接し、ものも言はずに浴場から躍り出て、濡れた裸体に白布一枚をまとひ、息ひきとつた婿君の部屋のまへを素通りして、風の如く駈け込んでいつた部屋は、ネロの部屋であつた。
ブラゼンバートは、ネロの父君との設定である。史実ではネロの父は別の名のようであり、「ブラゼンバート」なる名と柘榴の話に典拠があるのかどうか、私は知らない。ちなみに、母の名「アグリパイナ」は史実のとおり。
いずれにせよ、息子の話と父の話という違いはあるものの、掲出歌と太宰のこの小説の記述とは、内容がよく似通っている。掲出歌の一切が作者自身の想像力にかかっていたとは考えにくい。
(2014.10.13 記)
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