最新の頁   »   葛原妙子  »  暴王の死に関する異説(1)
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな

   葛原妙子『朱霊』1971年



 もしもそのような異説があるならば——と仮定するわけだから、作中の論理としては、そのような異説は存在しないということになる。しかし、実際のところはどうなのだろうか。

 塚本邦雄『百珠百華』(1982年)は

 確かに、そのやうな異説があつたとしたら、楽しくもあり美しくもある。

  (154頁)



と記すだけで、何の文献も挙げていない。川野里子は、明治書院版『名歌名句大事典』(2012年)の当該の項で、

 この「異説」の出所はわからない……

  (658頁)



としている。どこかに出所があるのだろうか。

 これまでおそらく報告されていない一つの先行テキストを、ここに挙げておこう。それは、太宰治の短編小説「古典風」である。

 ネロが三歳の春を迎へて、ブラゼンバートは石榴を種子ごと食つて、激烈の腹痛に襲はれ、呻吟転輾の果死亡した。アグリパイナは折しも朝の入浴中なりしを、その死の確報に接し、ものも言はずに浴場から躍り出て、濡れた裸体に白布一枚をまとひ、息ひきとつた婿君の部屋のまへを素通りして、風の如く駈け込んでいつた部屋は、ネロの部屋であつた。



 ブラゼンバートは、ネロの父君との設定である。史実ではネロの父は別の名のようであり、「ブラゼンバート」なる名と柘榴の話に典拠があるのかどうか、私は知らない。ちなみに、母の名「アグリパイナ」は史実のとおり。

 いずれにせよ、息子の話と父の話という違いはあるものの、掲出歌と太宰のこの小説の記述とは、内容がよく似通っている。掲出歌の一切が作者自身の想像力にかかっていたとは考えにくい。


(2014.10.13 記)

関連記事
NEXT Entry
暴王の死に関する異説(2)
NEW Topics
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(3)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(2)
『ねむらない樹』vol.5の訂正記事について(1)
ご挨拶
できんくなるかもしれん考
第一回BR賞並びに石井大成「〈ほんまのこと〉への機構」メモ
山崎聡子「わたしたちが身体を所有すること」メモ
「意志表示せまり声なきこえ」の解釈
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(9)
『現代短歌』2020年5月号(特集 短歌と差別表現)について(8)
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930