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 以前、角川『短歌』に原稿を持ち込んで断られたことがある。昨日、古いUSBメモリのなかで探し物をしていて、たまたまその拙稿の書類ファイルを見つけ、久しぶりに自分で読み返してみた。文字通りの拙い小文とはいえ、またしまい込むのも残念なので、以下に全文を貼り付けておこう。同誌の掲載可否の水準を計るための参考資料になるかもしれない。ファイルの日付は「2010年2月22日」。その月に書いたものだろう。


     §



   第二芸術の論は時局便乗であったか


     

 本誌二月号から始まった共同研究「前衛短歌とは何だったのか」がどのような成果をもたらしてくれるのか、一読者としておおいに楽しみにしている。拙稿は、ささやかながらこの研究の展開に資することを願ってのものである。

 連載第一回の三枝昂之「占領期文化の克服へ—前衛短歌の戦後史的必然を考える」は、敗戦後の〈伝統否定〉の風潮のなかでいわゆる第二芸術の論が生まれ、それが塚本邦雄の歌の方法に影響するまでの道筋を論じている。その結語〈前衛短歌とは第二芸術論克服のための表現改革の運動である〉について、私は差し当たり、何の異論も持ち合わせていない。ただ、その結語に至る過程、すなわち一連の第二芸術の論を〈占領期という時局に便乗した〉ものと断じるくだりには、いささか危惧の念を抱かざるを得なかった。日本人自身による広い意味での伝統否定の動きは、GHQの占領統治が本格的に開始される以前にすでに始まっていた可能性があり、その主体的な動きの周辺に第二芸術の論が位置する可能性も否定できないと思うからである。

 三枝は、敗戦後の伝統否定の風潮について、GHQによる検閲がメディアに強く影響した結果広がったものと見做しているようである。ところが、今回の論考では、そのように見做すべき確実な根拠が見当たらない。志賀直哉「国語問題」は、志賀が戦争末期の悲惨な状況を受けて開戦の際の思想を翻したものと見るべきであるし、土岐善麿のローマ字論は〈年来のもの〉である。漢字廃止を主張した昭和二十年十一月十二日付『読売報知新聞』社説を占領政策の影響と捉えるには一定の論証が必要であろう。『短歌研究』の発行者であった木村捨録の〈日本語廃止論〉は、効率重視の〈ビジネスマン〉の立場から〈公用文、マスコミの用語〉に限って思い浮かべてみたもので、これを伝統否定の風潮と結び付けることにはやはり無理がある。しかも、三枝が言及する『短歌研究』昭和二十年九月号の伏字は、私見ではGHQの検閲開始以前のものである。その伏字の処置が日本人みずから戦中の軍国主義思想の転換を図っていた一例である可能性も捨て切れないのである。

 もちろんGHQが日本国内の軍国主義的な観念を殲滅するためにさまざまな宣伝活動をしたことは確かであるし、それが伝統否定の風潮に関係したことも疑いない。その風潮の広がりに一定の役割を果たしたと考えられる当用漢字と現代かなづかいの制定にしても、直接的にはGHQの占領政策がもたらした結果であった。ただ、一方で、この当用漢字と現代かなづかいを例にとれば、ともに明治以来の長い議論を踏まえるものであったという側面も見逃してはならないであろう。伝統否定の風潮も第二芸術の論も、単に占領期の時局便乗であるか、それともそれ以前から存在した主体的な思想の表われであるかは、そうそう簡単に割り切れないと私は思う。


     

 『短歌研究』昭和二十年九月号の件については先行研究にも誤解が多いので、この際その誤解を解いて研究課題を整理しておきたい。同号は、校正中に敗戦を迎えたものである。その編集後記には、〈原稿及び作品はその筋の御注意もあつて八月十五日以前の色彩を拭消するために削減訂補するの已むなきものもあつた〉という、時局の大転換を実感させる一節がある。三枝の見解によれば、〈その筋〉はGHQであり、〈削減訂補〉とは同号において佐佐木信綱の二首に伏字を入れたことであるという。同号からその二首を引こう。

いのちもて斎垣きづき成し大御民めぐらひ守る の御国ぞ
若人ら命を国にさゝげまつる命こめし書を 火にゆだねつ


 この二首に一箇所ずつある一字空けが、要するに伏字である。そのもともとの字については、すでに篠弘『戦後短歌史Ⅰ 戦後短歌の運動』(短歌新聞社、昭五八・七)がそれぞれ〈神〉〈敵〉と推測している。つまり、それらの字は、戦中の軍国主義等の表われと見做されたため伏字にされた、ということになる。三枝は篠の推測を肯定した上で、同号巻頭の評論、中村武羅夫「我が国体と国土」に話題を広げ、次のように述べる。

 ……「我が国体と国土」は「日本の国体が比類なく神聖にして、尊厳極まりないことは、わが国の歴史がこれを証明してゐる」と始まり、「万世一系、神の御末裔の天皇が、皇統連綿として統べたまふばかりではない。臣子の分にして亦神となり得るのである。このやうな特異な国柄が、いつたい世界のどこにあるだらうか。——たゞ日本のみ」といった空恐ろしいくだりもある。これが検閲を通って「神の御国ぞ」や「敵火にゆだねつ」が削除修正命令を受ける。不可解という他ないが、原因は検閲の不徹底だけにあるのでなく、短歌という詩型そのものへの強い警戒心の結果であるようにも感じる。


 信綱の歌の一部を伏字にする一方、中村のこの評論には同様の処置をしていないことを三枝は指摘し、そこに短歌に対するGHQの〈強い警戒心〉をみとめるわけである。

 ここに、一見不可思議な事実がある。私の知るかぎり、同号の検閲と処分の問題を最も早く取り上げて論じたのは内野光子「占領期における言論統制」(『ポトナム』昭和四八・九)であるが、内野はそこで中村のこの評論の文中に〈聯合軍司令部の命に依り以下一部削除〉という註記のあることを報告していたのである。見落としようもないこの明らかな註記に三枝がまるで言及しないのは、なぜか。内野と三枝のいずれかが虚偽の報告をしているのであろうか。

 もちろん、内野も三枝も虚偽の報告をしているわけではない。実は、同号には二種の版があるのである。一つは中村の評論の全文が載る版であり、もう一つはその評論の文中に〈聯合軍司令部〉云々の註記と四行余にわたる伏字がある版である。三枝は前者のみを見て論じ、内野は後者のみを見て論じたわけである。仮に前者をa版、後者をb版と呼んでおこう。大学図書館や文学館等で同号を所蔵しているところは少なくないが、私が調査したところでは早稲田大学図書館と神奈川県立図書館がa版、国立国会図書館と群馬県立土屋文明記念文学館がb版を所蔵している。かくいう私も一冊、古書店から廉価で購入して持っているが、それはb版である。a、b版ともに複数の原本を確認できることから、どちらも頒布されたものと見てよい。

 内野論文から今回の三枝論文までの間に同号に言及した文献としては、前出の篠の著書のほか、碓田のぼる『占領軍検閲と戦後短歌 続評伝・渡辺順三』(かもがわ出版、平成一三・一二)がある。篠はa版のみ、碓田はb版のみを見て論じている。これらの先行研究を並べて読めば二種の版が存在することは一目瞭然であるにも関わらず、これまでその二種を比較する研究が皆無であったことは、いかにこの方面の研究が活発でなかったかを示していよう。

 それはともかくとして、それぞれ頒布されたと見られるa、b版は、互いにどのような関係にあるか。『短歌研究』次号、すなわち昭和二十年十月号の「諸家消息集」に、木村が〈十月十日〉の日付入りで次のように記している。

 九月号は聯合軍最高司令部より一部削除の懇篤なる勧告を受けた。そのため印刷をやり直すといふやうな事になり約三十日おくれた。


 GHQによる雑誌検閲の開始は九月下旬とされているので、十月十日の日付と〈三十日おくれ〉の記述はやや不正確な気もするが、そのことはしばらく措く。この記述に従えば、中村の評論に一部削除の跡がないa版は刷り直し前の第一版、その跡があるb版は刷り直した第二版と見るのが自然であろう。つまり——九月号は校正中に敗戦を迎えた後、九月半ばまでに印刷製本し(すなわちa版)、直接購読者や献呈先に送付した。その後、九月下旬に開始されたばかりのGHQによる雑誌検閲を受けたところ、一部削除の処分が下されることになった。その時点で書店販売がすでに始まっていたとすれば書店から回収、まだ始まっていなかったとすれば出荷停止し、一部削除の上、印刷製本し直して(すなわちb版)、再発売にこぎ着けた——。二種の版が頒布された経緯は、このように推定できるのではないか。

 ところで、注目すべきは、三枝が指摘する信綱の歌の伏字と編集後記の記述がa、b版に共通していることである。GHQによる削除処分が二度に分けてなされた、とは考えにくい。したがって、信綱の歌に伏字を入れるように注意した〈その筋〉は、GHQとは別の筋であろう。アメリカのメリーランド大学プランゲ文庫にGHQの検閲の関係資料が保管されていることは周知のとおりであるが、それを調べても中村の評論に対する一部削除処分の記録があるのみで、信綱の歌に関する記録はなく、私の推定と矛盾しない。

 この点からもa版はGHQによる検閲が開始される以前の版と見るべきであるが、ではGHQでない〈その筋〉とはどこか。従来の検閲機関と解するのが最も穏当な解釈であると私は思う。つまり、内務省警保局の注意に従って編集部が自主規制し、信綱の歌に伏字を入れたのではないかと思うのである。もっとも、いかに敗戦後とはいえ、内務省警保局がことさらにそれまでと正反対の注意をするものかという疑問も湧く。この辺りは、今後の研究課題になろう。

 いずれにせよ、この注意は、GHQでなく、日本側の筋によるものであったと推定される。そうであるとすれば、その注意の意図は何か。間もなく占領統治が本格化することを見越しての注意であったとすれば、それは間接的に占領政策の影響を受けたものであったといえるかもしれない。しかし、たとえそうであったとしても、そこに自主的な軍国主義否定の含みがなかったとは言い切れないと私は思う。


      

 三枝によるインタビュー集『歌人の原風景』(本阿弥書店、平成一七・三)は、近藤芳美をはじめとする大正前期世代の歌人から示唆深い証言を数多く引き出した本である。近藤芳美はこのなかで第二芸術の論に触れて、それが〈欠点だらけ〉の論であることをみとめつつ、次のように述べている。

 文学とは何か。そのいちばん根底にあるのは「人間いかに生きるか」の問いです。だがその問いをぼくは短歌に自分なりに求めようとした。同時に、しかし短歌に根本的にないものはその問いではないかというのがぼくの短歌に対する不信でした。で、「第二芸術」論は結局、そのことを問うているのではないかとぼくは思った。


 第二芸術の論が出た当時、近藤はそれに共感した。しかも、〈短歌に対する不信〉は、第二芸術の論以前にすでに近藤自身のうちにわだかまっていたのであった。その事実を見ても、第二芸術の論をただちに〈占領期という時局に便乗した〉ものと決め付けるのは妥当でないし、生産的でもない。敗戦後の伝統否定の風潮と第二芸術の論は、現代の目には拙劣で軽薄なものとして映るかもしれない。しかし、そうであっても、それを考察するときには、一旦は当時の日本人による主体的な問題意識の発露として捉える必要があるのではないか。


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コメント
5
実に面白いですね。「短歌研究」昭和20年9月号にa版とb版があることは、僕も初めて知りました。推理小説を読んでいるような鮮やかな論の展開で、説得力があります。

検閲の問題に関しては、どうしても書き手の政治的な立場が関わってくるので難しくなってしまうのですが、まずはこうした事実を積み重ね、共有していくことが大切だと思います。

その意味でも、この原稿が没になってしまったのは残念でしたね。掲載可否の水準というよりは、内容が一般読者向けには少し専門的過ぎるという理由でしょう。

ぜひ、何か別の機会に、あるいは評論集などをまとめる際に、入れていただきたいと思います。そうしないと、またa版、b版の整理以前の議論が続いてしまいますから。

6
面白い、と言ってくださってうれしいです。
とてもありがたく、励みになります。

没になった後、「あーあ」と思って、
そのまま読み返すこともありませんでしたが
今回ブログに載せてよかったです、
松村さんに読んでいただけたのだから。

「まずは……事実を積み重ね、共有していくこと……」
私も全く同感です。
松村さんの文章も、同じ意識に貫かれていると思います。
「まずは」という語に含意がありますね。

短歌の評論・研究の権威は、
今は三枝さん辺りかと思いますが、
その著作をありがたがるだけではやはりだめで、
実証レベルで三枝さんと議論できる研究者が
何人かいてほしい気がします。
そういった人たちが出てくればおもしろくなります。

松村さん、ぜひがんばって!
私も微力ながらがんばってみますので。

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