松村さんから教えられた忍足ユミ「石川信雄の偉業:ジャン・コクトーに導かれて」(『短歌往来』2013年9月号)をようやく入手して読んだ。忍足氏はこの論考のなかで、斎藤史『魚歌』の一首、
の「下敷き」として石川信雄『シネマ』の一首、
がある——と指摘している。当ブログの7月7日付記事「石川信雄と斎藤史」で同様の指摘を私もしたが、この点については忍足氏にプライオリティーがある。私は氏の論考を引用すべきところをしなかったわけで、おわびしたい。
もっとも、私は忍足氏の論考以前に前川佐美雄の一首、
との関連も指摘していた(「斎藤史『濁流』論」)。忍足氏の目に留まらなかったようだが、本来なら氏にも拙論を引用してほしかったところだ。
ここに挙げた石川信雄と前川佐美雄の歌を比べてみると、第三句は前者「飛び乗つて」、後者「とびのつて」。表記の点では、前者が史の歌と一致する。
他方、第二句からの繋げ方をみると、前者「〜ば飛び乗つて」に対して後者「〜にとびのつて」。こちらは、後者が史の歌と同じ形である。
史の一首に直接影響を与えたのが石川信雄なのか前川佐美雄なのかは直ちには判断しがたい、と私は思う。
(2014.8.12 記)
春を断(き)る白い弾道に飛び乗つて手など降つたがつひにかへらぬ
の「下敷き」として石川信雄『シネマ』の一首、
プリマスが流して来れば飛び乗つてもう何処(どこ)へゆくわれさへ知らぬ
がある——と指摘している。当ブログの7月7日付記事「石川信雄と斎藤史」で同様の指摘を私もしたが、この点については忍足氏にプライオリティーがある。私は氏の論考を引用すべきところをしなかったわけで、おわびしたい。
もっとも、私は忍足氏の論考以前に前川佐美雄の一首、
そのへんで拾うた自動車(くるま)にとびのつてどこへ行くのかもう分らない
との関連も指摘していた(「斎藤史『濁流』論」)。忍足氏の目に留まらなかったようだが、本来なら氏にも拙論を引用してほしかったところだ。
ここに挙げた石川信雄と前川佐美雄の歌を比べてみると、第三句は前者「飛び乗つて」、後者「とびのつて」。表記の点では、前者が史の歌と一致する。
他方、第二句からの繋げ方をみると、前者「〜ば飛び乗つて」に対して後者「〜にとびのつて」。こちらは、後者が史の歌と同じ形である。
史の一首に直接影響を与えたのが石川信雄なのか前川佐美雄なのかは直ちには判断しがたい、と私は思う。
(2014.8.12 記)
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