最新の頁   »   中城ふみ子  »  「中城ふみ子と中井英夫がいた時代」を読んで(4)
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 『短歌研究』1954年10月号に尾山篤二郎と長沢美津による女歌論争の掲載があり、翌11月号にはそれに対する読者の意見が「尾山長沢論争批判:読者の声」として載った。その「読者」の一人が松田さえこだった。
 

 私は同性として中城さんのいたましい死に素直な同情を寄せるし、その作品の気魄、自信には敬意を表してゐる。併し実のところあれが短歌の——女人歌の新しい在り方の方向とはどうしても思へない。

 たしかに中城さんの歌は、赤裸々な女の声と思はれよう。が、実際には演技の殻をつけた裸だ。

 今後、女人歌に、中城ふみ子流の作品が流行したらやりきれないと思ふ。

 中城さんの歌には、自虐に陶酔した様な面がある。かざりけのない、女性本来の真実といふものとは程遠いのではないか。かうした異常な作品が、若い世代の女人歌の指針となる様であつたら、これは大変なことだ。

 女流歌人の多数が精神的ストリツパーになつたら男性の多くは喜ぶかもしれない。しかし私は断じてその流れに捲き込まれまい。晴隴な気品と、ほのぼのとした抒情を失つて、何の女人歌であらうか。

(以上、抜粋)



 松田さえこ、すなわち、当時まだ二十代の尾崎左永子。もちろんこの文章は若書きであって、六十年後の尾崎左永子はこんなに率直には書かない。しかし、今度の『短歌研究』に寄せた「月光下の沈黙」の次のような箇所を読むと、結局尾崎さんは中城ふみ子をあまり好きではないのだなと思う。
 

 時事新報記者だった若月彰がふみ子にぞっこんで(略)

 ジャーナリスト三人(引用者注—若月・中井・山名康郎)を身辺に配して、ふみ子は自らの終焉を思うままに飾ったといえるのかもしれない。



 「ぞっこん」という品のない(?)言い回しからは、軽蔑と若干の嫉妬とが感じ取れる。そして、「ジャーナリスト三人」の一文からは、おおいなる嫉妬が……。


(2014.7.31 記)

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