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 春を断(き)る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ

   斎藤史『魚歌』1940年



 二・二六事件を背景にした連作「濁流」のなかにある著名な一首。事件が起こった1936年の作である。拙稿「斎藤史「濁流」論」には、次の歌からの影響を感じさせると書いた。
 

そのへんで拾うた自動車(くるま)にとびのつてどこへ行くのかもう分らない
   前川佐美雄、『短歌作品』2巻3号(1932年3月)



 ところが最近、筑摩書房版『現代短歌全集』第七巻を読んでいたところ、これまで自分が見落としていた歌があるのに気が付いた。
 

プリマスが流して来れば飛び乗つてもう何処(どこ)へゆくわれさへ知らぬ
   石川信雄『シネマ』(初刊本は1936年12月)



 「プリマス」とは、すでに日本にも輸入されていたクライスラーの大衆車。歌の内容から、タクシーで使用されていたものと見える。
 
 30年型プリムス
 (ウィキペディアより、当時の広告。ウィキ、すばらしい。)
 


 さて調べてみると、こちらの歌の初出は佐美雄の歌より早い『短歌作品』2巻1号(1932年1月)で、歌集との異同は

  初出「くれば」→歌集「来れば」

の一字のみ。佐美雄に対して、この年下の同行者が影響を与えていたことは間違いない。しかも、両者を比較すると、石川の一首により多くの魅力があるようだ。佐美雄の一首が単純明快なのに対し、石川の方は下句に若干屈折がある。「もう」の使い方、第四句から第五句にかけて一旦切れるところ、「われは」でなく「われさへ」であるところ、等々。加えて、固有名詞のプリマスが近代文明の香りを演出してもいる。

 結局のところ、史の「春を断る」歌に直接影響を与えたのが石川なのか佐美雄なのかは断定できないにしても、元をたどれば石川のこの一首にたどり着くのである。この点、拙論の記述を修正したい。

 なお、佐美雄が後に上記の歌を『白鳳』(1941年)に収める際に
 

そのへんで拾うた自動車(くるま)に飛び乗るもいづく行くはてのある春ならむ



と改め、一首の内容をほとんど正反対に変更してしまったことは同じ拙論で指摘した。いま考えてみると、この大幅な改作は、できるかぎり遠く石川の作から離れるためのものだったかもしれない。歌集から落とせばよさそうなものだが、そうしなかったのは、作者なりの思い入れがあったということだろうか。ともあれ、逆向きの内容になったことで、この歌は石川の作に対する返し歌の趣を含むことになり、歌集に入る資格を得た。


(2014.7.7 記)

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