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 中城ふみ子が息を引き取るまぎわに口にした最後の言葉は、「死にたくない」だった——ということは、その死の直後に出た『凍土』3号(1954.9)に丸茂一如が書き残している。『凍土』はふみ子が参加していた同人誌で、『凍土』のメンバーは札幌医大病院に入院していたふみ子を日々励まし、支えた人たちである。丸茂もその1人で、ふみ子の通夜の準備にも携わった。丸茂の証言はまず信頼できると考えるのが普通だろう。

 今から10年以上前、ある研究者——仮にAさんと呼ぶ——が著作のなかでこの「死にたくない」という言葉を引いた。すると、それを読んだ人から私的に反論が来たという。つまり、本当にそう言ったという証拠はない、削除すべきだ、というのだ。

 なるほど、そう言われてみればそのようでもある。丸茂本人が臨終の場にいたわけではない。また、看取ったふみ子の母、きくゑのエッセイや歌には、その言葉は出てこない。もっとも、座談会でのきくゑの発言には

 最後まで「死にたくない」とはいつてました



とある(「中城ふみ子をしのぶ座談会」、『十勝毎日新聞』1955.11.25)が、これは一番最後の言葉という意味ではなさそうだ。死に近いある日に言った言葉が「最後の言葉」として、誤って伝わった可能性もあろうか。小川太郎や佐方三千枝は丸茂の証言の信頼性に疑問を持ったのか、評伝中にそれを取り上げていない。

 ただ、そうだとしても、丸茂の証言が差し当たり最も信頼できるということに変わりはなさそうである。反論してきた人は、なぜ執拗に証拠の有無を言い立てたのだろう。

 思うに、最後の言葉なるものが、あたかも「辞世の句」としてその人の人柄や思想、ときには人生そのものまで象徴するかのように感じられるためか。最後の発作が起きたとき、ふみ子が母に騒がないように注意したということは、きくゑの歌にあり(「お母さん騒ぐでない」と二度三度われを制してひそけく逝きぬ 『辛夷』1954.9)、若月彰『乳房よ永遠なれ』にも書いてある。「騒がないで」と「死にたくない」では、印象が変わってくる。前者は冷静で、誇り高い人柄を想像させる。後者は生命への愛着が直接的に顕れており、聞く人によっては潔くないと感じるかもしれない。Aさんに反論した人は、ふみ子が最後に「死にたくない」と言った、とは思いたくなかったのだろう。

 Aさんの方は、もともとふみ子の最後の言葉に対して、それほどまで強い思い入れを持っていたわけではないようだ。だから、最も信頼できる証言をただ引いただけなのだ。しかし、反論を受け、Aさんは研究者の名誉にかけて調査した。そして、とうとう、ふみ子の臨終の場にいた別の人物の所在をつきとめた。その人は、ふみ子の最後の言葉が何であったかを記憶していたという。

 私はAさんから事の顛末を聞き、ぜひ文章にして残してほしいと言った。しかし、Aさんは乗り気でないようだった。それからもう数年経つが、Aさんはまだどこにも発表していないはずだ。すべては初めから無かったもののように、消え去ってしまうのだろうか。


(2013.10.13 記)

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