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 道徳の問題に直結する「剽窃」「盗用」といった語を使うのを避けて、比較的穏やかな(?)「無断引用」という語を使ったのだが、この「無断」は「著者」に断らずに、という意味になってしまうか。引用元を明示せずに引用することを表わして、しかも道徳の問題には直結しない語、はないだろうか?

     §

 新聞は研究の場ではない。その道の専門家でない読者にその道のことを分かりやすく伝えるのが新聞の役目の一つだから、文章を煩雑にしないために引用元の記載を省略するという考え方はあってよいと思う。しかし、全国紙に署名入りで意見を載せることがささやかな名誉であるとすると、引用元に敬意を払うことなく自分だけがその名誉を得るのはどうなのか、とも思う。

 18日付の朝日新聞13版に、中村真理子という記者の署名入りで「「こころ」論 時代の空気映す:石原千秋・早大教授が読み解く」という記事が載っていた。記者が石原氏に話を聞いて記事をまとめるという体裁だ。

 夏目漱石『こころ』で、先生から届いた遺書は封筒に入れる便宜から「四つ折」に畳んであったが、この記事には次のようにある。

 石原教授は、『三四郎』などの前期3部作に比べて、『こころ』を含めた後記3部作は視点の揺らぎなどあらが目立つ、と指摘する。そもそも先生の遺書は長すぎて四つ折りにできるとは思えない。



 先生の遺書は『こころ』の「下」全部であるから、確かにそれを四つ折りに畳むことは不可能だろう。しかし、この指摘はこの記事が最初にしたことではもちろんなく、石原氏のオリジナルですらない。

 私は専門家ではないので、この「四つ折り不可能説」を誰が最初に提出したのか知らないが、すぐに目に入るところでは三好行雄「こゝろ」(『鑑賞日本現代文学』5、角川書店、1984年)に同じ指摘がある。三好は、漱石の当初の構想では先生の遺書がもっと短かったと推定し、「四つ折」にその痕跡をみとめたのである。

 当該記事の文責は中村記者にあるが、話の出所は石原氏。記者相手に、先行研究の存在を強調することなく、気楽におしゃべりを楽しんだのだろう。氏の得る名誉はわずかなものにちがいないが、だからといって先学の分まで得てよいことにはならない。


     §


 今年は『こころ』が朝日新聞に連載されてから百年だそうで、朝日新聞は『こころ』を再連載しつつ、漱石関係の記事に力を入れている。同日付の別面に、もう一つ漱石関係の記事がある。「リレーおぴにおん 漱石と私」という連載コラムの第4回で、話し手はサンキュータツオ氏。初めてこの人のことを知ったが、「漫才をやりながら、お笑いの学術的研究もする「学者芸人」」で、一橋大学非常勤講師の由。そして、この記事もまた「聞き手・中村真理子」である。

 さらにすごいのは「草枕」にはプロットがないこと。物語の筋よりいかに良い文を書くかを究めました。唐突に雲雀の描写が始まり、しばらく続く。何これ?って思いますが、漱石は意図してやっている。主人公が本を前にして「開いた所をいい加減に読んでるんです」「それが面白いんです」と言う場面があります。



 意見自体はまず穏当なものだと思う。しかし、『草枕』の主人公による読書論がそのまま漱石による『草枕』の読み方論になっているという指摘は、前田愛『文学テクスト入門』(筑摩書房、1988年)にすでにある。サンキュータツオ氏が得る名誉の一部は、やはり先学の分であるはずだ。


(2014.6.21 記)

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