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 A氏が『赤光』の歌について書いた後、B氏がやはり『赤光』の歌について書いたところ、A氏がB氏の論考は自分の論考の無断引用ではないかと指摘し、B氏はA氏の論考が先行論であることを認めた上で、その存在を知らなかったと釈明した——という話を人から聞いた。

 後段はウェブ上でのやり取りらしいので、ちょっと検索してみたが、それらしいものを探し当てることはできなかった。短歌の世界で研究者同士の対話らしい対話を聞いたり読んだりすること自体、あまりない気がするので、無断引用の有無をめぐる対話でも興味を引かれる。A氏もB氏も不本意で不愉快だろうが。


     §


 無断引用のことでは、自分にもにがい経験がある。「斎藤史「濁流」論」という論文で、史が晩年に宮中歌会始の召人になったことについて、権力との「和解」と書いたのだが、この「和解」という表現を岡井隆がすでに使っていたことに後日気が付いた。私は拙論を書く前に、どこかで岡井の言葉を読んでいて、しかもそのことを忘れていたのである。

 私の文章は岡井の言葉を無断引用したことになる。そうならないための作法は簡単で、「岡井隆が述べたように」という文言を付け、その出典を記すだけだ。私はそれをしなかったばかりに、にがい思い出を一つ増やしてしまったわけだ。

 ちなみに、この私の件については、これまで誰からも指摘されたことはない。拙論が人に読まれていないことに救われた感じである。


     §


 無断引用をなぜしてはいけないのか、ということについては論点がいくつかあるだろう。他方、個々の署名は記憶されず、芸や知そのものの集積と展開だけがなされる——そんな世界が存在し得るのかもしれない、と私は夢想することもある。ただ、研究の場では無断引用をしないほうが全体の利益になる、ということは確かなようだ。引用元の記載が知のネットワークの構築に貢献するからだ。

 この点では、創作の場と研究の場とで事情が異なるかもしれない。論文から論文への無断引用はしないほうがよいが、皆が了解すれば、例えば歌から歌への無断引用はしてもよい、となることはあり得る。


(2014.6.18 記)

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