最新の頁   »   短歌一般  »  塚本青史氏の文字遣い
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 敬愛する人から『短歌往来』6月号をいただいた。この雑誌は近所の書店にも図書館にも置いていないので、うれしい。

 田中さんの逗子八郎研究、松村さんの連載「樺太を訪れた歌人たち」、森本さんの歌、大森静佳の歌など充実した内容。

 塚本青史の随想「ご」、平仮名一文字のタイトルに興味を引かれて読む。「御挨拶」でなく「ご挨拶」と表記するのは、マスコミが定着させた「愚劣な文字遣い」だという。私自身、手紙などでよく「ご挨拶」を使うので、「愚劣」という表現の強さに驚く。そう見なす理由は何かと読み直してみると、結局
 

 「ご」は訓ではなく音であるから、「御」と表記するのが自然である。



とのことだ。非難の言葉が激しい割に、根拠はおとなしいので拍子抜けする。

 氏の文章を私は初めて読んだが、文字遣いなど父君よりもむしろ凝っているようだ。
 

 ・……をもって(よし)とする……
 ・莫迦馬鹿しくも……
 ・不断、政府の方針にも真正面から是非を挑むマスコミが……
 ・為体(ていたらく)



等々。「莫迦」と「馬鹿」の使い分けの仕方など、不勉強な私には見当も付かない。

 もっとも、テイタラクは元々形容動詞に由来するのだろうから、氏の音訓表記の原則からすれば、むしろ「体たらく」ではないか。私自身は、別にどちらでもよいと思うが。
 

 「ご存じ」のような用例は、残念ながらプロにも浸透している。/マスコミのミスリードは、遂にここまで来ているのだ。



 こう自信たっぷりに書かれると、つい信じてしまいそうになるが、仮に「ご存じ」が「愚劣な表記」であるとして、では愚劣でない表記は? 私には皆目分からないのだ。御存じ? 御存知? 音訓の表記の話なら、取り立てて言うほどのことでもない。また、字音語「存知」と「存ず」の名詞形「存じ」の比較なら、それは簡単に決着の付く問題ではないはずだ。

 いずれにしても、理由や根拠を明示しないことによって自説の優位を確保しようとするのは、趣味の悪い弁論術だと思う。



(2014.6.1 記)

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