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 「唖の歌」で妹に宛てた賢治の詩が引用されていたのは、中井が望むふみ子との関係が兄と妹のようなものだったからだ。ふみ子の死の半月前、1954年7月17日付のふみ子宛中井書簡に、

 僕はソレカラ、中城ふみ子のことを妹のように愛し、そのためにもふみ子と呼びたいことを提案します。


 
とあり、また、

 僕の誕生日(略)九月十七日なんです。僕のはうがすこしでも兄貴だといいんだけれど——何だか四月生れのやうな気がしてならない。何時ですか、教へて下さい。


 
ともある。ふみ子と中井は同年生まれだが、ふみ子の誕生日は11月15日だった。中井が願ったとおりだったわけだ。

 「唖の歌」では、前に引いた一節に続けて、さらに次の数行がある。

*それにしても、と私は思ふ。多くの人の死を、なぜ死刑執行人のやうに迎へてきたのだらう。舌の上のこの苦さは何なのだらう。囁くやうに手紙の一行が蘇る。
  何もかも風のやうに過ぎてしまひますわ、もうぢき。
*その朝、果実屋の店先に始めて若い葡萄を見た。通りすぎようとして思はずふりかへると、漆黒の一房はやはり皿の上に静まつてゐた。—中城さんに—


 
 「何もかも風のやうに過ぎてしまひますわ、もうぢき。」というのは、1954年5月30日付の中井宛ふみ子書簡の一節。

 中井はふみ子に対して私信では「ふみ子」と呼んだが、人前ではもちろんそうは呼べなかった。だから、末尾の言葉は「中城さんに」。これと「鍵」の「中城ふみ子に」とを比べると、後者は明らかに詩の題名として作品化されたものだ。

 「鍵」に添えられた「54・8」は、この詩の完成した年月を意味しているのだろうか。そうだとすると、この記載は正確だろうか。「鍵」と当時の雑誌に実際に載っていた「唖の歌」の間には、やや距離がある。私たちが現在見るような形で「鍵」が完成したのはもっと後のことだろう、と私は推測している。


(書簡の引用は創元ライブラリ『中井英夫全集』巻10、2002年2月、に拠る。)
 
(たぶん、続く)

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