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 この詩の初出は、『短歌研究』1954年9月号だろう。ふみ子の死の直後に出た号である。ただし、ここでは詩と呼ぶべき態のものではなかった。それは、編集後記と奥付の間に埋め草のように置かれた「唖の歌」と題する短文だった。

*オルゴオルのとまらうとするたゆげな響きの中、うつうつと瞼を閉ぢてゐるその人の前で心は水鳥のやうに叫んでゐた——どうしてそんなに小さくなつてゆくのだ! その日、からだの中ですべては終つた。薔薇は髪からころげおち、素早い手が灯りを消してしまつた。
  けふのうちに遠くへ行つてしまふ妹よ
  霙が降つておもてはへんに明るいのだ(無声慟哭)



 引かれている宮沢賢治の詩は「無声慟哭」でなく「永訣の朝」の一節だが、ともかくその引用のなかの「妹よ」が「鍵 中城ふみ子に」では作中主体自身の言葉となり、それに伴って初出の「その人」は「お前」という二人称で呼ばれることとなった。

 そして「どうしてそんなに小さくなつてゆくのだ!」は、初出では病床のふみ子を前にして他を見回す余裕もなく、気付けばすでに「叫んでゐた」言葉であった。

 初出とヴァリアントと、どちらが生々しく、どちらが切ないか。いうまでもないだろう。詩として再構成された後者は、いろいろと字句を入れ替えるうちに本来意味すべきところを見失った失敗作のようにも見える。


 (続く)

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