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 南九州市知覧の富屋食堂の敷地内に岡野弘彦の2015年作の一首、

わが心の深き據(よ)り所(ど)ぞ。ただ寡黙に若き命を去りゆきし友


の歌碑が建てられ、この4月8日に除幕式がおこなわれたという。それを伝える南日本新聞デジタルサービスの同月11日付記事と掲載写真を見て、式当日の様子などを知ることができた。

 富屋食堂は私も見学に行ったことがある。特攻隊員、上原良司のよく知られた遺書〈明日は自由主義者が一人この世から去つてゆきます〉云々の写しをそこで見て色々なことを思わされた。この地に現代短歌の石碑という組み合わせがよいのかどうか分からないが、富屋食堂を再訪することができたらこの歌碑も見てみようと思う。

 さて、除幕式には岡野門下でこの歌碑建立の発起人である川涯利雄氏のほか、

 歌人の伊藤一彦さん(宮崎市)ら約30人が出席し、完成を祝った。


とのことで(同記事)、『歌壇』10月号掲載の伊藤一彦の三十首連作「不眠の銀河」を見ると次の二首がある。

 知覧に岡野弘彦氏の歌碑「わが心の深き據り所ぞ。ただ寡黙に 若き命を去りゆきし友」。
特攻機の飛び立てるときいのち抱(だ)きされどたましひは残し行きけむ

 恋人と別れあるいは恋を知らず死に赴きし若きら。
歌碑除幕式に祝詞をあげたるは豊玉姫の神社(やしろ)の宮司



 前の歌は〈いのち〉と〈たましひ〉の対比が読み所である。ただ、〈たましひは残し行き〉と言ってしまうと、その宗教的な死生観の効果によって戦争の残酷さがいくらか中和されることにならないだろうか。評価の難しい一首だと思う。後の歌の〈豊玉姫の神社〉は知覧に実在する大きな神社のことで、〈祝詞をあげたる〉は事実をそのまま述べたとおぼしい。豊玉姫神社は安産祈願に御利益があるとされているので、そこから特攻隊員の恋に連想が働いたのかもしれない。

 ところで、鹿児島県内に『華』という短歌雑誌があった。川涯氏が創刊し、同じく岡野門下の森山良太さんが近年発行人を務めていた同人誌である。7月に終刊号を出したそうで、9月5日付『現代短歌新聞』にそれを報じる記事が載っているのだが、その文面が穏やかでないことにちょっと驚いた。

 ……季刊で発行を続けてきたが、突然の終刊を迎えた。森山代表および会員一同の「終刊の辞」によれば、四月八日、知覧の富屋旅館の庭に岡野弘彦氏の歌碑が建立されたが、「直前まで全く知らなかったとは申せ、この度の祝事に何の協力もできませんでした。私どもは、先生に恩返しができませんでした。このことを深く深く恥じ入り、翌四月九日をもって会を閉じることに決しました」という。


 岡野家は歌碑建立に必ずしも積極的ではなかったとある人からは聞いた。恩返しができなかったことを恥じ入ると言われても、先生ご本人は困惑するのではないかと思う。それにしても、川涯氏は同門の人々に協力を募ったはずで、森山さんが〈直前まで全く知らなかった〉というのは不思議だ。何か部外者には分からない事情があるのだろう。

 同記事が『華』終刊号の森山作品を四首引いている。どれも深い情念を感じさせて印象深い秀歌だと思う。孫引きになるが、下に写しておこう。

ひとつ葉の垣のみどりのあたらしさ 路ひとつ隔ててあれと言ふ者

祭文に師の名いくたびも聞こえ来ぬはつなつの陽に幣ひかる見ゆ

人の為しし多くは人に毀たれきイシュタル門の獅子の彫像

この歌誌にいのちの際を綴りける幾人
(いくたり)おもひ千々に乱るる


 私が特に感銘を受けたのはイシュタル門の一首。まるで歌碑に投げつけた呪いの言葉のようだ。華短歌会の人たちに対して誰かが〈路ひとつ隔ててあれ〉と言ったようだが、一体それは誰なのだろうか。

 新聞の写真で見ると、歌碑の姿かたちはさすがに見事だ。一方、関係者の人間模様はあまり美しいものではないらしい。


(2023.10.2 記)

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Author:和爾猫
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