最新の頁   »  2021年08月
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 お久しぶりです。自分で歌を作ったり結社の歌会に出たりが今さらながら楽しすぎて、ブログ放置です……。当地はまたまた緊急事態宣言下です。皆さんお変わりありませんか。

     §

 小池光さんの論考「斎藤瀏、歌人将軍の昭和」(『昭和短歌の再検討』砂子屋書房、2001年)に出てくる「歌人将軍」という異名の初出はどこか——ということが最近、ツイッターの話題になっていたと聞いた。私はそのツイートを見ておらず、どなたのツイートか知らないのだが、いまどきの短歌界隈で斎藤瀏に関心を持つ人がいるなんて……意外で、うれしい。その人、私が書いている斎藤史の評伝を読んでくれてるかな(読んでないだろうなあ)。

 小池さんの上記論考の本文を見ると、

 加えて瀏は「歌人将軍」であり、大いなるロマンチスト、熱血漢であった。(69頁)


とある。鍵括弧付きで「歌人将軍」と記しているので、何かの先行文献からこの呼び方を引用したようだ。小池さんの引用元が何かは見当が付かない。しかし、これに類する言い方がいつごろからあるか、ということなら……。

 1927(昭和2)年、瀏は少将に昇進し、熊本に歩兵第十一旅団長として赴任。翌年旅団に出動命令が下った際、熊本の地元紙『九州新聞』(1928年4月23日付)に、

 陸軍少将といふより歌集『曠野』の著者として知られた熊本第十一旅団長斎藤瀏氏は今回南九州の勇卒二千名を率ひて風雲急なる山東の野に向ひ済南に駐箚する事となつた(略) 出動に関して所懐を求めると、一つ勇ましいところを詠むかなといつて筆を取り「救ひの軍(いくさ)わがすぶるからは火に水にいゆき果たさないのち死ぬとも」と達筆に書いて「まあこの心持ちだなあ」といつて記者に渡した


といった記事が出て、その見出しが「斎藤歌人少将の風懐」。早い時期の文献としては、この辺りではないかと。

 当時の新聞記事を見ると、瀏はしばしば「歌人少将」とか「詩人少将」とか書かれている。新聞記者にとっては詩人も歌人も似たようなもので。

 歌人仲間は瀏のことを単に「斎藤少将」「斎藤将軍」などと呼んでいた。これも分かる。だって、仲間内では歌人であるのが当たり前だから、それをわざわざ言う必要がない。


(2021.8.21 記)

ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031