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 ここは国の緊急事態宣言がまだ解除されていない地域だが、商店街の飲食店は先週から一足先に店内営業を再開したようだ。夕刻、居酒屋の前を通ると狭い店内に人が混み合っていて、楽しそうに大声でしゃべっている。これでよいのかどうか知らないが、町全体が解放感に充ち満ちている感じ。


     §


 『現代短歌』7月号が届いた。私はまだ前の5月号を読み終わらない。加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会についても、感想はまだいくらかある。ただ、ここまでもう回を重ねてしまったから、とりあえずこの座談会の分は最後にしよう。

 この会は2月5日に行われたものだという。ちょっと不思議に思ったのは、染野の発言の中にすでにコロナウイルスへの言及があることだ。

 概括する言葉は本当に今、繊細に考えなきゃと思うんですよ。思考停止につながると思うんですよね。(略)それで終わるものが何かあって、そうやって例えばコロナウィルス関連で差別に走ったり、バーッと戦争に向かったり……


 「コロナウイルス関連の差別」とは何か。ここ最近の話なら見当が付く。例えば、4月17日付朝日新聞の社説の見出しは「コロナと差別」だ。内容を見ると感染者への差別、および医療従事者とその家族への差別の二つを挙げている。また、4月3日付朝日新聞デジタル「なぜ風俗業は支援対象外」を見ると、

 新型コロナウイルスの感染拡大で小学校などが休校したため、厚生労働省は子どもの世話で仕事を休んだ保護者向けの支援のしくみをつくった。ところが、性風俗や、キャバクラなど客の接待を伴う飲食業で働く人は対象外。ツイッターなどで「職業差別だ」「命を選別するのか」と批判が噴出している。


とある。しかし、2月5日の時点での言及はかなり早い。

 厚生労働省の発表や新聞の報道を追ってみると、日本国内で新型コロナウイルスに関係する肺炎患者が初めて報告されたのが1月16日。海外からの帰国者でない患者が初めて報告されたのが同28日だ。

 ダイヤモンド・プリンセス号の横浜港到着は2月3日。国内で初めてコロナウイルス陽性患者が死亡したのは、そこからさらに十日後、同13日である。同4日付読売新聞に「ネットでマスク「2箱8万円」、店頭で品切れ」という記事があるものの、この頃、私たちにとってコロナウイルスはまだどこか他人事だったのだ。

 当然、「コロナウイルス関連の差別」もそれほど広がったり、深刻化していたりしたわけではなかった。朝日新聞デジタルで「コロナウイルス 差別」で検索すると、1月31日付の「新型肺炎、広がるデマにどう向き合う」という記事が出てくる。ネット上に「中国人旅行客4600人を乗せたクルーズ船が博多港に到着」といったデマのツイートが拡散しており、中国人への差別につながりかねない、などと書いている。

 翌2月1日以降、国が中国湖北省に二週間以内に滞在歴のある外国人と、湖北省発行の中国旅券を所持する外国人の来日を拒否。やがて外国人旅行客の来日も激減して、この「差別につながりかねない」動きは終息するのだが、染野が言及したコロナウイルス関連の差別とはこういったデマのツイートを念頭に置いたものだったと推測される。

 ところで、先ほど触れたように、「差別につながりかねない」動きに代わって差別そのものが生まれたのは、その後のことだ。行政の「性風俗や、キャバクラなど客の接待を伴う飲食業で働く人」に対する職業差別。世間の感染者に対する差別、医療従事者とその家族に対する差別。松村は座談会の終盤に、

 対立する他者がいなくなったときに、新たな他者を内部に発見してそれを排除していく。


といった発言を残しているが、その後の世間の風潮を予言していたかのようで恐い。

 ともあれ、特定の被害者が存在する点で、それらの差別は2月5日時点で知られていた問題とは水準の異なる問題だった。そうであるなら、同じ顔ぶれでもう一度座談会を開くのも一案かと思う。明らかな差別を伝え聞いたり、身近に体験したりした直後は、あるいは議論の方向も変化するかもしれない。

 私自身、先月辺りからコロナウイルス関連の差別の存在を伝えるいくつかの新聞記事を読んで、気付いたことがある。性風俗関連の職業差別は論外だ。しかし、感染者を差別する人、および医療従事者とその家族を差別する人のことは、少なくとも私個人は全面的に非難するのを躊躇する。その人たちの多くは多分、元々の差別主義者ではない。差別主義者でなくとも、恐怖を感じれば、人は自分の身を守るために差別に走る可能性がある。私は、私自身が差別する側の一人になる可能性を完全には否定することができない。

 このように感じてしまうとき、差別をなくすためにそれを倫理違反として(つまり、差別はよくないことだと)糾弾したり、啓蒙したりすることは有効だろうか。無効だとは思いたくないし、実際に無効ではないだろう。しかしまた、別の方法もあるように思う。この点で、4月30日付朝日新聞に掲載された与那覇潤のコラムが参考になる。

 1カ月でこの国から追い出すべき病気なら、誰だってうつされたくないと思うだろう。そうした政策を煽りながら、帰結としての風評被害(引用者注—医療従事者やその家族への差別)に対してだけ「同情」を寄せるあり方は自作自演だと気づくべきだ。/(略)日本ではコロナの死亡率は低く、体が弱って危険な人を防御できれば、大勢にとっては「かかっても治せばよい」普通の病気になる。そう認識することだけが、差別をなくす方法である。(与那覇潤「差別するなと言いながら」)


 差別をただ非難するのでなく、差別を生む元となる認識を改めることが有効だという。この考え方に従うなら、文学作品の差別表現に対しても、ただ差別だと言い立てるのとは別の批評の仕方を考えることができるのではないか。例えば、同じ5月号掲載の「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」の中にある一首、

花はあかく塗ると決めゐる童女あり混血のくらき肌(はだへ)を持ちて
  斎藤史『密閉部落』(1959年)


は「混血」が差別語とされる言葉で、かつそこに負の印象を与える「くらき肌」という表現をつなげたために「差別語の使用例」とされたものに違いない。この歌の表現を「差別的」と非難するのは簡単だ。しかし、生物学的に純血の日本人などどこにも存在せず、日本国内に住むすべての人が「混血」であるという事実を指摘するなら、この歌の作者の認識が時代の制約を受けて不十分であったことは一層明確になるだろう。


(2020.5.24 記)

 義父は仕事の性質上、リモートワークができない。そして、連休中も出勤している。高齢だから心配。


     §


 この座談会では、染野太朗が発言すると必ず刺激的な議論になっている。「われら」という言葉をめぐる問題もそうだ。この人がいるのといないのとでは、話の展開が大きく違っていたはずだ。

東北で良かつたといふ大臣に踏みにじられるわれらの土は
  本田一弘『磐梯』(2014年)


 松村由利子がまずこの一首を挙げ、次のように言うところから話が始まる。

 もうしばらくしたら「われら」も使わなくなるんじゃないか。それくらい一人ひとりがバラバラになっていく。(略)若い世代は決して「われら」とは歌わないんじゃないか。本田にとっては「われら」が生きてるんで、そういう共同体とか郷土というものをもてるひとは幸せだな、とも思います。


 個々人が「バラバラ」に分断された現代社会では「われら」という言葉も使われなくなるだろう、という。ただ、本田の一首は時の大臣の失言に対する憤りがモチーフになっているから、「幸せだな」という感想はやや言い過ぎのようでもある。そこで、加藤英彦が次のように発言して軌道修正を図ることになる。

 東日本大震災が起きてハッとさせられたのは、梶原さい子の『リアス/椿』です。そこには「われら」や「わたしたち」がとても自然に生きている。それは、かつての思想的な共同体ではなくて、もっと原初的な土地の共同体なんですね。


 批評家による状況分析の応酬である。よくある誌上座談会なら、ここでこの話題は終わっていたことだろう。ところが、この会では、ここから染野が発言して議論が始まるのだ。

 なぜここが「われら」になったのかをすごく考えます。(略)原発事故があったから、この「われら」が出てきたと言われればそれまでだけれども、「わたし」ではなく「われら」を選ぶこの感性は、「われらの国は」に容易にスライドしませんか、とひとこと言いたくはなる。


 「われら」をここで選ぶ感性は右派のそれにも通じるとの主張だろう。なるほど、右派の人々にこそ共同体への信奉があり、正義の意識があり、現状への憤りがある。それを思えば、染野の言うことももっともだ。ただ、現代人一般の心情としては、本田の一首には共鳴しやすいが、例えば国家主義に対してはそう簡単には行かない。だから、両者を同一視することに抵抗を覚える人は少なくないだろう。案の定、松村は、

 自分たちが弱い立場にあることがひしひしと感じられるから出てきちゃった「われら」ではないですか。


と言い、加藤は、

 そもそも、あの大臣の発言がひどかったですよね。(略)言われたのは「われ」一人ではないわけで、ここは「われら」じゃないとだめでしょう。


と述べ、いずれも染野に同調しない。これに対して染野は、

 ぼくは、排除されるのはこの場合、東北の外部のひとというより東北の内部のひとじゃないかと思うんですよね。(略)「われら」と言われて「われら」以外も弾かれているけど、東北の内部のひとたち一人ひとりの意思は奪われませんか。


と反論を返した上で、さらに、

 例えばぼくが一九七七年生まれで、超就職氷河期をまさに経験したけれども、同い年の誰かが超氷河期を代表して「われら」と言った瞬間にぼくは嫌悪感を催すわけです。


と言葉をつなぐ。この一連の染野の発言はカテゴライズ批判の延長だろうが、私の胸中にも強い印象を残したことは確かだ。「わたし」の視点の重要性をまさしく自分一人の視点から語ったところには、迫力も感じた。加藤も松村も結局説得されたようだ。座談会の意義を再確認させてくれる場面だった。

 ともあれ、「われらの土」と「われらの国」に間には、内部の人々を疎外する可能性も含めて同質性がある、と私も思う。また、他のカテゴライズ批判と比べ、この「われら」批判には何か異なる要素がある気がする。

 難民でない者がただ「難民」云々と発言するだけなら、その者は自分一人の発言であることを隠していない。一方、「われら」云々と発言する者は、「われら」全員の感情、意見、生活状況等を確認していないときでも、まるで「われら」全員のそれを代弁するかのように振る舞うことになる。そこにもしかすると倫理的な問題が存在するのかもしれない。

 そのことを認めた上で、私は染野の主張に対して疑問を二つ出しておきたい。第一に、「われら」を排して「わたし」を選ぶことを徹底すれば政治的には敗北を繰り返すはずだが、染野はそれを甘受するのか。染野と意見の対立する者は染野の選択を喜ぶだろう。それでいいの?

 第二に、弱者であったり少数派であったりするから「われら」を選ぶしかないと加藤も松村も考えていたようだが、むしろ逆ではないか。強者であり、多数派であり、加害者側であるときに「われら」の立場を引き受けるほかない、ということがないだろうか。例えば、東京や大阪の住民が「私は自宅の屋根にソーラーパネルを設置して必要な電力を確保している」と発言するのと、「私たちの地域に必要な電力の大部分は他県の原発が供給している」と発言するのとでは、どちらが誠実なのか。


     §


(つづく)


(2020.5.5 記)

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