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 近所の喫茶店、定食屋、居酒屋はどこも店内営業は自粛。その代わりにそれぞれの店の前に長机を出し、持ち帰り用の弁当や総菜を売るようになった。この週末の昼間、小さな商店街は人通りも多く、むしろお祭りのような高揚感に包まれている。


     §


 染野太朗のカテゴライズ批判の続きをもう少し見ておこう。小佐野彈『メタリック』(2018年)の

(いだ)きあふときあなたから匂ひ立つ雌雄それぞれわたしのものだ

男同士つなげば白いてのひらに葉脈状のしみがひろがる


といった歌について、染野は次のように主張している。

 小佐野彈の歌はかなり素朴なジェンダー感をもっているのが見えて、性はグラデーションだと言われ続けているのに、「雌雄」の二つでしか見てないんですよね。(略)自分の性についてごく単純に「男」としか思っていない感じがある。素朴すぎると思う。


 一方、加藤英彦はこの見解に理解を示しつつも、

 かれらは、つねに男性性/女性性という枠組みで差別されてきたので(略)、歌としてはグラデーションのほうに回収せずに、抱き合うときに匂い立つのは、あなたの男性性であり女性性であるのだというところで掬いとる。その両極を〈私〉は抱きとめるのだと。一首としてはそこにこだわらざるを得なかったと思います。


などと述べ、これらの歌を擁護している。世間の方が初めに小佐野に「男性性/女性性という枠組み」を強要したのであり、そこに小佐野の歌の方法が選び取られる契機もあったとの意見だろう。ところが、これに対する染野の返答は「彼が苦労したとかいうことと、言葉として何を発しているかは別だから」云々というもので、加藤説に正対できていない。この座談会の中では残念な場面の一つだった。

 (1)で触れた松村由利子の場合とはやや異なり、染野は「誰が」という視点を欠いてはいない。ただ、その視点を幾分軽んじていると私は思う。上の一首目は本人が本人の性的指向に、二首目も同じく本人が本人の性自認と性的指向に言及する。この彼が自身の性を「ごく単純に」男と思っていようが、自身の性的指向を男女二元論的に捉えていようが、第三者はそれについて倫理面から「素朴すぎる」などと非難する権利や資格を持たない。当然だろう。それなのに、染野はそこで非難してしまうのだ。いわく、

 われわれには男と女に二分できないグラデーションがあるし、年齢によっても環境によっても、あるいは日々のそのつどの時間の中でも、ジェンダー的な何かをグラデーションで抱えながらひとと接しているはずなのに、「男」と言っちゃうことによって、生物学的あるいは性的指向におけるある典型に押し込めてひとのことも自分のことも理解しているように見えるんです。


 染野が自分一人の性をめぐって「年齢によっても環境によっても、あるいは日々のそのつどの時間の中でも、ジェンダー的な何かをグラデーションで抱えながらひとと接している」と認識するのは自由だ。染野以外の誰にもそれを否定する権利はない。私なども、もちろんそれを尊重するものだ。ただ、染野が他者の性をもそのように認識するとしたら、どうか。その他者は自身の性に限って、染野の認識を肯定する権利とともに、否定する権利をも無条件に持つだろう。

 同様に、小佐野の歌の「わたし」が自身の性を「ある典型」風に認識しているとしても、染野にはそれを否定する権利はない。ただ、小佐野の歌の「わたし」が「あなた」の性をも「ある典型」風に認識するとき、「あなた」だけはその認識を肯定する権利とともに、否定する権利をも無条件に持つだろう。

 さて、世間が人に「男性性/女性性の枠組み」を与えてきたことに、染野は批判的な意見を持っていると推測される。そうだとすると、染野が他人の性自認と性的指向に「男と女に二分できないグラデーション」の枠組を押し付けることは、その自身の意見と矛盾していないか。小佐野の歌の「男」が

 みずからに対するレッテルであったとしても、なんか嫌だな、と思ったんですよね。


と染野は言うのだが、「レッテル」という言葉からして他者のアイデンティティに対する侮辱であることを染野には分かってもらいたい。そして、「なんか嫌だな」と思ったときでも、他者のアイデンティティをまずは尊重してもらいたいと私は思う。


     §


(つづく)


(2020.4.26 記)

 しばらく在宅勤務だ。この記事はもちろん勤務時間外に書いているのだけど。


     §


 座談会の話題が現代の短歌に移ってからも染野太朗は同じ問題を根気強く追及する。

 カテゴライズするまなざしの危うさですが、ここ一、二年に出た歌集をひもとくと、近代からそれは地続きなんだと思えてしまう。


と言い、

ペヤングのお湯ごと麺を流すとき難民の子よ笑ってくれよ
  佐佐木定綱『月を食う』(2019年)


について次のように述べる。

 「難民の子よ」と言ったとたんに、その対象の個々人から難民以外の属性が奪われるんですよね。あえて大仰な言い方をしますけど、他の属性を剥奪してるんですよ。だから、「難民の子よ笑ってくれよ」というある種の自虐、自省に「難民の子」が利用されているとぼくは読んでしまう。


 「難民の子」について深く理解しようとせず、ただその外面だけを捉え、自身の自虐の歌の小道具に利用している、まるでちょっとしたアクセサリーでもあるかのように——などと染野は言っていないが、結局そういうことだろう。これに対して加藤英彦は、

 「難民の子よ」と言わないと、この一首は成り立たないでしょう。(略)「難民の子」は、明らかにわれわれとの関係性において提出されていますよね。それも、彼らとの差異を越えて〝対等な同質性〟を前提に歌われている。「笑ってくれよ」という呼びかけがまさにそうですね。


と発言し、染野の見解に納得していない。ただ、「笑ってくれよ」が「難民の子」への侮蔑や哀れみと無縁の表現であることは、染野も了解済みのはずだ。染野が問題にしているのはあくまで「難民の子」という言葉だから、異論を述べるなら、それについて述べる必要がある。なるほど、この一首は「難民の子よ」と言わないと成立させることが難しい。しかし、染野はむしろそれを理解しているからこそ、その表現が見逃せないのだろう。

 さて、前々回の記事に書いた通り、「それ以外の属性」を作品の上で消去することが倫理的な問題になるという染野の主張に私は疑問を持っている。「難民の子」の場合も同じだ。「他の属性を剥奪」とは巧みな修辞だと思うが、それだけで私の疑問が消えることはない。

 正直に言うと、私も実は佐佐木の歌を見て「難民の子」がウイークポイントだと思った。相手に実際に呼びかけるとしたら、「難民の」といった修飾句を付けるはずがない。それは観客向けの説明を兼ねた台詞のようで、どうも不自然だ。私にはそのことが物足りない。また、それが出来の悪い台詞風であるがゆえに、その台詞を作るのに社会的弱者を「利用」したようにも感じられてくる。

 なお、急いで付け加えれば、「お湯ごと麺を流す」ところなどは東京辺りの特におもしろくもない生活の一場面をうまく切り取っていると思われ、印象に残った。

 私がしているのは文学的価値の話だ。染野のいうカテゴライズは倫理でなく、文学の問題として取り上げる方がよいのでないか。


     §


(つづく)


(2020.4.24 記)


 前回の記事で取り上げた、北原白秋や吉井勇の歌に対する染野太朗の

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


という発言を受けて、松村由利子が石川啄木と若山牧水に話を広げている。この部分はどうもヘンな気がした。

小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
  石川啄木『一握の砂』(1910年)

しのびかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け
  若山牧水『死か芸術か』(1912年)


の二首を挙げて、

 啄木にも、牧水にすらこういう歌があって、この時代、みんなそうだったのか、という驚きと再認識はありました。(略)こういう歌があることによって、廃娼運動が起こり、与謝野晶子がそれについて講演し……という時代が立体的に浮かび上がったりもします。


と言うのだ。「こういう歌」とは、要するに娼妓の客となった歌人の歌ということのようだ。座談会であって学術論文ではないから、染野の「社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる」批判から話題がずれてしまったのは仕方がないか。牧水の一首はたしかに「こういう歌」だ。私としては、これが染野の批判する白秋や勇の歌と同類なのかどうか、松村や染野の見解を聞きたかった。

 また、廃娼運動にまで話題を広げたいということなら、啄木の方は歌でなくて日記を挙げればよいのにと思った。「小奴」が芸娼妓の名らしいというだけで「こういう歌」だと簡単に断定できるのか。岩城之徳『啄木歌集全歌評釈』(筑摩書房、1985年)で該当歌を引くと、小奴について次のように書いてある。

 十勝国大津の伯父坪松太郎の養女となって坪ジンと名乗ったが、伯父が死んだため帯広の函館屋という小料理屋にあずけられて芸事を覚えた。その後釧路の近江屋旅館の近江善吉と再婚した母ヨリを慕ってこの地に来て、鶤寅という料亭の専属となり自前で左褄をとり十九歳のとき啄木を知った。


 「自前で左褄をとり」とは芸妓として独立営業していたことをいう。この記述の通りなら、小奴は前借金のための年季奉公ではなかったことになる。『一握の砂』でこの次に出てくる一首、

よりそひて/深夜の雪の中に立つ/女の右手(めて)のあたたかさかな


については、岩城は「釧路の知人海岸での小奴との思い出を歌った」として、1908年3月20日付啄木日記の

 十二時半頃、小奴は、送つて行くと云ふので出た。(略)手を取合つて、埠頭の辺の浜へ出た。月が淡く又明かに、雲間から照す。雪の上に引上げた小舟の縁に凭れて二人は海を見た。(手元に啄木全集が無いので、岩城の本から孫引き)


を引く。また、この数首後の

きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへりの廊下の/不意のくちづけ


については、岩城自身が晩年の近江ジン(小奴)から聞き取った、

「そんなこともあったでしょうよ。石川さんは二十三歳。わたしは十九歳、おたがいに若かったんですものね……」


という言葉を紹介している。口述の記録に筆記者のフィルターが掛かっている可能性は考慮すべきだが、そうだとしても、小奴と啄木が松村の想像するような関係だったとは思えない。まして廃娼運動などと結び付けられる話ではない。芸妓にも様々な境遇があり、様々な芸妓がいるのだ。なお、啄木には遠く離れて暮らす妻子があったが、それはまた別の問題だろう。


     §


(つづく)


(2020.4.21 記)

 引き続き、同じ座談会の感想。

くろんぼのあの友達も春となり掌を桃色にみがいてかざす
  斎藤史『魚歌』(1940年)


 この一首について、加藤英彦が「差別性は感じない」と述べたのに対し、染野太朗は、

 ぼくはグレーだと思うんです。この歌は「くろんぼ」賛歌に(略)見えるんだけど、「桃色」との対比に使われちゃっているところがぼくは嫌な感じがします。


と反論している。私自身の感覚は、ここでは染野の方に近い。ただ、なぜ「桃色」との対比になると「嫌な感じ」がするのか、説明するのはなかなか難しいように思う。染野も「それはおいとくとしても」などと言ってすぐに論点を別に移していて、残念だ。

 「嫌な感じ」の原因は「桃色」自体ではなく、「みがいて」の方にあるのかもしれない。桃色は彼の掌の生来の色であるはずなのに、まるで磨いて桃色にしたかのような言い方だ。そこに人の肌の色を一般と特殊に分ける視線を私は感じてしまうのかもしれない。


     §


 ところで、染野もまた、「桃色」そのものよりもっと問題にすべきところがあると主張している。

 それはおいとくとしても、「くろんぼ」は問題がある。


 クロンボは要するに「黒の坊」で、その「坊」に黒人蔑視が表れている——といった見解かと思えば、そうではない。言い回しはどうあれ、黒人・黄色人種・白人などと「カテゴライズしてしまうまなざし」がいけないというのだ。この座談会中、最も先鋭的な問題提起だろう。染野は、

ふくれたるあかき手をあて婢女(はしため)が泣ける厨に春は光れり
  北原白秋『桐の花』(1913年)

円山の長椅子(ベンチ)に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ
  吉井勇『祇園歌集』(1915年)

二十(はたち)からしたの少女(をとめ)をわれは好きまつしろい雲を見おくつてゐる
  石川信雄『シネマ』(1936年)


といった歌をも挙げた上で、次のように述べる。

 われわれはこれだけ差別はいけないとか個々人が大切だとか言いながら、結局、相手をカテゴライズしたそのなかで見ている。なんらかの先入観があり、差別につながりうる「差異」をまず見ている。かつ、そのまなざしが現代にも続いている気がするから、まずいと思う。


 つまり、「くろんぼ」や「婢女」「娼婦」「二十からしたの少女」は何らかの先入観に基づくカテゴライズであり、それは差別につながりうる「差異」にまず目を付けることだ、というのだ。差別以前の行為まで批判の対象にしようというのだから、かなりの戦線拡大と見てよいだろう。

 私なりに色々と考えてみたが、結論から言えば、私は首肯できない。批判すべきカテゴライズの範囲が明確でないし、それを批判すべき理由もいまだ明快に説明されていないと私には思われるからだ。

 まず、範囲について。あらゆるカテゴライズが否定されるべきなのだろうか。染野が石川信雄の一首を引きながら、それについてほとんど何も解説していないことは、ここでの議論をいささか分かりにくくしている。「くろんぼ」「婢女」「娼婦」がそれぞれの作中に一人の人物として登場するのと違い、「二十からしたの少女」はそのようなカテゴリー自体を表す。カテゴライズを目的とする表現に対して「カテゴライズは駄目だ」と突っかかるのはナンセンスではないのか。

 もしかすると、「二十からしたの少女をわれは好き」の内容全体に問題を感じる人もいるかもしれない。その人はその内容全体を問題にすればよいと思う。ただそれだけのことではないのか。

はつなつのゆふべひたひを光らせて保險屋が遠き死を賣りにくる
  塚本邦雄『緑色研究』(1958年)


 こちらは「……差別語の使用例」に入っていた一首。編集部は「保險屋」の「〜屋」を問題視したと推測されるが、それは一方でカテゴライズの表現でもある。こういった表現をも染野は否定するだろうか。ここでの作者の意図は、保険販売に従事する一人の人物を描写することでなく、その業種・職種に象徴的な意味を担わせるところにあったと思われる。そういった表現意図に対して、カテゴライズ批判はやはり無効ではないか。

 次に、理由について。範囲に関する疑問は一旦保留にしておこう。染野は白秋の「婢女」の一首、および勇の「娼婦」の一首を批判する理由に関して、

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


と述べ、さらに、

 「婢女」とカテゴライズすることで、そのひとがもっていたはずのそれ以外の属性が消えることにもなる。


と述べてもいる。一つ目の発言は、私もほぼ同感だ。しかし、これは「社会的に弱いひと」に取材した歌を批判する理由としては成立しているが、カテゴライズ批判の理由としては成立していないと思う。

上海の煙草屋陳が陳荘はコンクリートに少し蔓かかりたり
  土屋文明『韮菁集』(1945年)


 「……差別語の使用例」の中の一首。前々回の記事で取り上げた「極道」もそうだったが、この「煙草屋」なども「社会的に弱いひと」ではなさそうだ。こういった歌にも当てはまるものでなければカテゴライズ批判の理由にならないだろう。

 では、二つ目の発言はどうか。カテゴライズによって他の属性が見えなくなるとの指摘は、確かにあらゆるカテゴライズに当てはまる。しかし、こちらの発言に私はより根本的な疑問を感じた。

 「そのひとがもっていたはずのそれ以外の属性」を作品の上で消去することは、差別表現がそうであるように、倫理的な問題になる——のだろうか。染野は倫理的な問題になると考えているわけだが、一連の発言でその根拠になりそうなのは結局元に戻って、それが「差別につながりうる」というところだけだ。ところが、その発言がいみじくも示している通り、ある人の一つの属性だけに注目して他の属性に注目しないことは、ある人を差別することと同じではない。それは差別につながるかもしれないが、つながらないかもしれない。そうだとすると、それを倫理的な問題と見なすべき根拠を染野はまだ提示できていないのではないか。


     §


(つづく)


(2020.4.19 記)

 引き続き、加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会の感想。

 加藤によれば、角川文庫版の『寺山修司青春歌集』や岸上大作『意志表示』の初版本と改版本を比較すると、どちらも前者に収録されながら後者では削除された歌が複数あるという。興味深い指摘だと思う。文庫本の各版の異同まで調べている研究者はそうはいないのではないか。加藤が挙げている歌は次のようなものだ。

作文に「父を還せ」と綴りたる鮮人の子は馬鈴薯が好き
  『寺山修司青春歌集』1972年版(2005年版で削除)


豚を飼う朝鮮部落の朝餉する汁の香りが匂う清しき
  『意志表示』1972年版(1991年版で削除)


 また、講談社学術文庫『寺山修司全歌集』(2011年)は無削除で、「故人である作者の芸術表現であること、作品の時代背景に鑑み」云々の添書きがあるとのことだ。時代によって言葉の取扱いが変わった一例ということになろう。削除版について加藤は、

 でも、そうした出版社の対応を〝事なかれ主義〟と批判するのは少し酷な気がする。(略)当時の社会状況ではなかなか難しかったろうと思います。


と述べているが、私もそう思う。


     §


(つづく)


(2020.4.17 記)

 近所の公共図書館も三月以来館内閲覧休止で、館外貸出だけやってくれていたのだが、先週からとうとう休館。仕方がない。家にある未読の本を毎晩、順に読めばよいわけだ。


     §


 加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会「短歌と差別表現」は種々の論点を提示しつつ、具体的に歌を挙げて議論していて充実していると思った。内容を私なりに簡単にまとめると、次の通り。

(1)加藤による論点の提示その1
 差別語に反対することと表現の自由との葛藤について。「作品のなかに一つの世界を描き切ろう」とするとき、そこに日常生活の言葉の場合とは異なるモラルをどう組み直すか、と問う。

(2)加藤による論点の提示その2
 短歌が差別と向き合うことへの期待について。差別的思考は自分の中にもあると認めつつ、「自身の差別意識と向き合う歌」が少ない現状に触れて、もっとあってもよいのではないかという。

(3)松村による論点の提示その1
 言葉の意味が時代により変化することについて。一つの言葉に後から差別的な意味合いが追加される、といったことを松村は想定しているようだ。

(4)松村による論点の提示その2
 短歌が一人称詩型であることの難しさについて。作中の差別的な表現が「反語表現」であっても「作者の本音」と誤解されることがあり、インターネットによって不特定多数の人がすばやく作品にアクセスできる現代ではそのように誤解される可能性が高くなっているという。

(5)松村による論点の提示その3
 言語感覚が個々人により異なることについて。ある言葉に差別的な意味を認めるかどうかは個々人の感覚によって変わってくる。その感覚の違いが現代では特に人それぞれになっていて「言葉のモラルの問題をむずかしくしている」という。

(6)染野による論点の提示その1
 差別を語ることの二面性について。差別について語ることは問題を解決に導くこともあれば助長することもあり、そのジレンマを心に留めるべきだとする。

(7)染野による論点の提示その2
 差別への応対に以前よりも一層の繊細さが要求されることについて。インターネットによって他人からアクセスされやすくなったため、自分の物言いに差別的な意味合いがないかどうか、慎重に考えるようになったのはよいことだが、自分の「知的体力」との兼ね合いで悩むこともあるという。

(8)染野による論点の提示その3
 ある歌が「差別構造」を含む場合の難しさについて。それを差別と捉えるかどうかは世代、個々人の「バックグラウンド」によって変わってくるという。

(9)個々の歌の差別表現をめぐる検討
 近代、および自作を含む現代の短歌作品を挙げて、その差別表現を検討する。


     §


 (1)から(8)は短歌と差別表現の問題の諸相をバランスよく取り上げていて、勉強になった。しかし、何と言っても刺激的だったのは(9)だ。自分の知らなかった事実を教えられてありがたく思ったり、どうしても納得できないところに頭を悩ませたりした。以下はすべて(9)に対する感想。

畑山夕空かぎるてつぺんに猶百姓のくろぐろとゐる
  木下利玄『紅玉』(1918年)

「百姓は」とおほらかに詠みし殿様の利玄を思ふ百姓われは
  石川不二子『さくら食ふ』(1993年)

てのひらの左右均等ならざるはつまり百姓であるといふこと
  時田則雄『みどりの卵』(2015年)


 松村は利玄の歌における「百姓」という語の使用について、

 屈託がない。差別性があろうことなど予想だにしていない。


とする。また、石川の歌について「誇り」もあるが「屈託」もあるとする一方、時田の歌については「自信と誇り」に満ちていると指摘し、上記(3)すなわち「同じ言葉でも時代によって変わる」実例と見なす。

 百姓という語が本来賎称でなかったのに、時代が下って賎称になったとはしばしば指摘されるところだ。しかし、松村の歌の引き方は適切でないと私は思う。差別語について考えるときに一つ押さえておく必要があるのは、誰がその語を使用したかだ。松村は「部落」を話題にした際にも加藤から、

 ただ、その「部落」という言葉を誰がどのように使うのかという問題はある。


と返されていて、その「誰が」の視点が弱いらしいのが気になる。時田のように農業に従事する人がみずから「百姓」を名乗るとき、その「百姓」が差別語として機能しないのは当然ではないか。

 たとえば、「彼は元々九州だから」などというのは一種の偏見で(もちろん「関西」や「関東」も同様)、なるべくしない方がよい発言だろうが、「私は九州人です」と当の本人が発言することはあり得る。それは時代の変化の問題ではないし、個々人の感覚やバックグラウンドの問題でもない。


     §


(つづく)


(2020.4.15 記)

 コロナウイルスのために図書館もずっと閉まっている。拙ブログの記事の大半は図書館の資料を頼りに書いているので、こうなるともうお手上げ……。自分の貧しい教養と乏しい知識だけでもって何かを書くのは不安だし、おっかない……。


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 ある歌について「差別的だ」と指摘することは、その歌の作者の態度、思想、場合によっては人格まで非難するに等しい。したがって、そういった指摘自体が妥当かどうかは厳しく検討されるべきだろう。本誌特集では、編集部編「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」及び加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会「短歌と差別表現」がさまざまな歌を挙げて、そこに差別表現があると判定している。以下、その当否に関する検討材料を出しておこうと思う。

 前の「……差別語の使用例」は石川啄木『一握の砂』(1910年)から吉村睦人『吹雪く尾根』(1983年)まで計五十五首を挙げて、それぞれ「職業」「人種・民族」「地域・地方」「心身の障害・病気」「子供」「性」に分類している。末尾に次の注が付く。

 差別語を意識して使用した例、発表当時は差別語とされていなかった例、また文脈において差別語として機能している例等が混在している。


 作者に差別意識があったかどうかは必ずしも問わないで掲出したということだろう。ところが、最も肝心な差別語の判定基準、すなわち何をもって差別語と見なすかということはどこにも書いていない。いま、参考資料として小林健治『最新 差別語・不快語』(にんげん出版、2016年)を見ると、差別語とは

 他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性をもつ言葉のことです。しかも、もっぱら自己選択できない自然的・社会的属性を差別の対象とされた人や集団を卑しめていう賎称語です。


とある。また、本誌収録の木下長宏「差別表現と芸術 序説」は、

 メッセージを伴う表現体が、そこで、扱っている対象を、蔑んだり、侮辱したり、心的に傷つける形を見せ、個人であれ集団であれ、その対象を社会的にあるべき位置に居られなくする(あるいは居られない気持ちに追い込む)働きをしている場合のことを「差別表現」と呼んでいるようである。


としている。「……差別語の使用例」はこのような基準を示していないのだ。結果、何首かの歌については、それらがなぜ差別語の使用例として選ばれているのか、私には不審に思われた。もちろん、

人の来るゆふべの寺のくらがりに乞食をり中世のごときその声

  佐藤佐太郎『冬木』(1964年)


閉鎖せしパチンコホールの階上に犬つれて若き鮮人が住む

  中城ふみ子『乳房喪失』(1954年)


なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす

  前川佐美雄『植物祭』(1930年)


といった歌に含まれる「乞食」「鮮人」「きちがひ」が差別語とされることは理解できる。たとえば、キチガイという単語がマスメディアで使用されなくなったきっかけは、座談会で加藤が言及する通り、1974年に関係団体が出した要望だという。『最新 差別語・不快語』に引かれている全国精神障害者家族連合会の申入れ書には、

 すべての障害者とその家族は、心身障害にかかわりのある表現が、興味本位やその欠陥を無能悲惨な状態を示すものとしてあつかわれることに対し、被差別者としての憤りを感じている。(略)不用意に『きちがい』という用語がもちいられると家族は萎縮し、回復期にある患者にはショックを与える結果を招いている。どうか被差別者の心の痛みを、みずからの痛みと感じとってほしい。(前掲書から孫引き)


とある。これを見れば、小林の提示した差別語の基準にキチガイという単語が該当することは明白だ。作者前川佐美雄の意図を問わないのであれば、「きちがひのやうに」を差別語使用例のうちに入れることは今日の社会通念に反していないだろう。しかし、「……差別語の使用例」に並ぶのは、このように理解しやすい歌ばかりではない。

(も)しあらば煙草恵めと/寄りて来る/あとなし人と深夜に語る

  石川啄木『一握の砂』(1910年)


 「あとなし人」は今でいうところのホームレスの古語。その人と深夜の路上で語り合ったというのだから、一首全体に差別の意図が無いことは確かだ。同義語の「浮浪者」は昭和の後期まで一般に通用していたと記憶するが、現在は放送局の禁止語のリストに入っているらしい。しかし、古典の用語までそれと同一視するのはどうか。「あとなし人」がいけないというなら「ホームレス」も駄目なはずだが、そもそもその存在に言及することすら許さないのか。

飴売のチヤルメラ聴けば/うしなひし/をさなき心ひろへるごとし

  同上


 チャルメラの音に追憶を誘われているわけで、これも一首全体に差別の意図はない。「……屋」もまた放送局の禁止語リストに入っていると聞くが、「飴売」がその同類ということか。しかし、アメウリを言い換える単語が私には思い当たらない。菓子販売業? まさかね。しかも、ここでは目前の一個の人格を指してアメウリと呼んでいるわけでもない。それは単にチャルメラの旋律の種類を指しているだけだ。

あだ名して樊噲と呼ぶ極道もしみじみとしてあそぶ秋の夜(よ)

  吉井勇『祇園歌集』(1915年)


 「極道」を差別語と見なしたのだろうが、その判断の基準がやはり判然としない。明治大正の時代には悪口で使われることが多かった言葉だが、悪口すなわち差別語とはならないだろう。同じ歌集の一首「円山の長椅子(ベンチ)に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ」を染野が座談会で取り上げて、

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


と発言している。しかし、樊噲に似る極道者の場合は弱者とも言いがたい。

琉球語が日本方言の一つなる事実だにせめて人よ忘るな

  柴生田稔『麦の庭』(1959年)


 この歌には、これを差別語と見なしたのだろうと推定できる語が見当たらない。あるいは、琉球語を日本語の一種に分類する文脈全体を、日本に沖縄を従属させる差別思考の表れと見たものか。しかし、琉球語を日本語の方言とする学説は現に存在し、柴生田はそれに拠ったに過ぎない。しかも、文脈に注意するというなら、柴生田の意図する文脈は沖縄を犠牲にして本土が復興することへの抗議ではないのか。

幼くてめしひし鶏は晩春のこの日頃卵うみつぐあはれ

  佐藤佐太郎『帰潮』(1950年)


 先に言及した全国精神障害者家族連合会の申入れ書などもメクラという単語への憤りを表明しており、「めしひ」という古風な名詞もメクラと同様の差別的な意味を含んでいると考えてよいかもしれない。しかし、この歌の「めしひ」は「目をしい」、つまり「視力を失い」という意味の目的語と述語だ。こういった言い回しまで差別的だとする意見があるのかどうか、私は知らない。

かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる

  吉井勇『酒ほがひ』(1910年)


 祇園の白川沿いに歌碑も立っている有名歌。それらしい語も見えないので、一首全体の内容が差別的だというのだろうが、一体どんな点にどんな差別をみとめたのかが私には分からない。なるほど、当時の芸妓や娼妓の多くが人身売買の被害者であることに作者は特に関心がないように見える。編集部はその態度を女性差別と判定したか。あるいは、「寝るとき」を娼妓相手の買春の場面描写と解し、買春に寛容な表現と判断しつつ、そこから女性差別の意識を読み取ったものか。

 前者においては、人身売買が重大な人権侵害であることは言うまでもない。しかし、それへの無関心がそのままただちに被害者に対する差別だ、とも言えないように思う。後者については、それを買春の場面と解してよいのかどうか、疑問を提出したい。「寝るときに枕の下を」でなく、「寝るときも枕の下を」だ。これは、いつでも常に家のすぐ外を、の意ではないか。つまり、祇園の芸妓たちの日々の暮らしに想像を広げた言葉ではないのか。

あかるきは娼家の明り筑波ねの夜ふけの町にわれつきにけり

  古泉千樫『屋上の土』(1928年)


髪こまかに巻きて爪紅(つまくれ)夕されば永安公司(こんす)に立つにやあらむ

  土屋文明『韮菁集』(1945年)


 この二首がなぜ差別的だというのか。娼家や娼婦を詠み込んだことについて女性差別と判定した、としか考えられない。しかし、どちらの歌も旅先のごく素朴な嘱目詠であって、それ以上の意味を持つものではない。作中主体が娼婦の客となったわけでもない。人権侵害の現状を棚上げしたままではセックスワーカーに言及すべきでないということなのか。

 これに関連して注目したいのは、座談会における染野の発言だ。

 差別語は、見ればわかる。差別意識もわりとわかりやすく見えるかもしれない。けれども、短歌が含みもっている差別構造、あるいはまなざしみたいなもの、それを捉えられるかどうかは、世代によってもちがうし、読者の個別のバックグラウンドによっても変わると思っています。


 ここでいう「短歌が含みもっている差別構造」とは、歌の言葉自体に差別的な社会構造が入り込んでいる場合について述べようとしたものだろう。たとえば、そうした構造のもとにある一光景を無批判に描写する歌である。「……差別語の使用例」は染野のこの問題意識を参考にしているように思われる。

 いずれにせよ、「……差別語の使用例」に対する私の不審は、編者が差別語の判定基準を開示しないことから始まっている。議論をもっと生産的なものにするために、編集部は次号にでもその判定基準を載せてはどうか。


(2020.4.11 記)


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Author:和爾猫
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