最新の頁   »  2019年08月10日
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加

ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず

 (『葛原妙子歌集』三一書房、1974年)


に対する川野さんの鑑賞は、

 ヴィヴィアン・リーといえば映画版『風と共に去りぬ』(昭和14年)でのスカーレット・オハラ役で知られる。あの片方の眉をきゅっと引き上げた気の強そうな美貌は作品のイメージを代弁している。
 しかし、葛原はこの映画のヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている。詩人はしばしば言葉を意味以前の音として感受する。確かに「ヴィヴィアン・リー」は鈴を振るような軽やかな金属音のようで、嫋やかで可憐な女性が想像される。それゆえあえて「手弱女」とよぶのだが、この言葉は葛原の語彙のなかでは珍しいと言えよう。(略)日本女性の背負ってきた家制度の重圧が未だ見ぬ表現の可能性を持っているかもしれないと訴えた葛原が、「手弱女」のようななよなよとした女性像を肯定するとはとても考えられない。むしろかなり皮肉な使い方なのではないか。(18〜19頁)


 ここも幾分、私見との違いがあると感じた。まず、『風と共に去りぬ』の「ヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている」との見解である。

 スカーレット役のヴィヴィアン・リーは、確かに手弱女の一般的な印象からは遠い。スカーレット・オハラについて言うなら、掲出歌の作者はその人物像に興味がなさそうにも見える。ただし、このような見方が有効であるのは、葛原が『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーを知りながらこの一首を作っていた場合に限られるだろう。実際のところは、どうだったのか。

 私の見立てでは、少なくともこの一首の着想を得た時点では、葛原は『風と共に去りぬ』を観たことがなかった。そして、最終案を『葛原妙子歌集』に載せた時点でも、おそらく『風と共に去りぬ』は念頭に無かったのだ。

 掲出歌の初出は『潮音』1951年1月号。その時の歌の形は次の通りだった。

ヴィヴィアン・リーと鈴ふる如き名をもてる女優ありき清き接吻ありし映画


 アメリカ映画『風と共に去りぬ』の本国での公開年は川野さんの記す通り、戦前の1939年だが、日本公開ははるかに下って戦後の52年。日本人が戦時中に外地でこの総天然色の大作を観て国力の差を実感し敗戦を覚悟したという話も伝わっているし、作家の林京子なども42年夏に上海の日本租界で観たと書いている(『ミッシェルの口紅』中央公論社、1980年)。しかし、葛原は50年以前に外地・外国に渡ったことがない。掲出歌の初出以前に葛原が『風と共に去りぬ』を観ていた可能性は、ほぼ皆無なのだ。

 では、葛原が観ていた映画は何だったのか。50年までに日本で公開済みのヴィヴィアン・リー主演の映画は『哀愁』(40年製作、49年3月日本公開)、『シーザーとクレオパトラ』(45年製作、50年9月日本公開)。「清き接吻ありし映画」との評言にふさわしいのは、誰がどう考えても『哀愁』だろう。

 そこで注意したいのは、『哀愁』のヴィヴィアン・リーである。蝋燭の火が照らす中、若い将校にリードされてワルツを踊るヒロイン、マイラ・レスターはもちろん美しいが、それでも平凡な市民だ。彼女を「可憐」と呼ぶなら、呼んでもよいと思う。これを見れば、「片方の眉をきゅっと引き上げた気の強そうな美貌」のスカーレットはプロフェッショナルな俳優の役作りによるところが大きかったことが分かる。



 こうしてみると、『風と共に去りぬ』の「ヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている」との見解には修正の余地があると言わざるを得ない。「名前から想像力を膨らませている」にしても、単にそれだけではないだろう。「手弱女の髪のなびくかたをしらず」の最終案に至ってなお、その想像には『哀愁』のマイラの人物像が影響していたと思われるのだ。

 ところで、川野さんは〈葛原が、「手弱女」のようななよなよとした女性像を肯定するとはとても考えられない。むしろかなり皮肉な使い方なのではないか〉というのだが、この見解にも異議がある。初出の「女優ありき清き接吻ありし映画」は、明らかにその女優と映画を肯定している。そして、改稿後の「手弱女の髪のなびくかたをしらず」も、手弱女のヴィヴィアン・リーを肯定していることに変わりはないように私には感じられる。

 思うに、川野さんも私も「手弱女の髪のなびくかたをしらず」の解釈は同じなのではないか。ただ、川野さんはフェミニズムの視点から葛原を評価しようとする。だから、手弱女に肯定的な言葉は「皮肉」と取りたくなる。しかし、「日本女性の背負ってきた家制度の重圧が未だ見ぬ表現の可能性を持っているかもしれないと訴え」る人が同時に可憐な手弱女に心引かれ、感情移入したとしても、さほど驚くことでもないのではないか。一見互いに矛盾する思想や感情が一人の人間のうちに同居することは、むしろありがちなことではないか。葛原の歌に手弱女への心寄せがみとめられるとしたら、それはそれとして一旦みとめればよいと私は思う。

 ある日、彼等はやって来たアメリカ占領軍の人々に、従来みずからが配属していた研究所、他、一切の引渡しを行った。翌日、一人のもと海軍将校はしっかりとゲートルを巻き、浅間の北麓をゆき、上信の分水嶺を越え、折からあらわれた草津白根の雪のいただきをみたのであった。(『孤宴』小沢書店、1981年)


 穴澤芳江『我が師、葛原妙子』(角川文化振興財団、2017年)を参照する限り、森岡貞香が葛原に関する講義で証言していた「イチニントノデアイ」の「イチニン」とは、どうやらこの「海軍将校」であるらしい。ロバート・テイラーが演じた『哀愁』のクローニン大尉に葛原は「イチニン」の面影を重ねていた——と私などは推測してみるのだ。もちろん、これは論証できる話ではない。


(2019.8.10 記)

ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031