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わが死(しに)を祷れるものの影顕(た)ちきゆめゆめ夫などとおもふにあらざるも

 (同)


 川野さんは、

 この一首は、結句の「おもふにあらざるも」が曲者である。最後の「も」が口籠もるようで歯切れ悪く、否定しつつ否定し切れていないのだ。擁護されたはずの夫こそが強調されて、「私」の死を祈っているものはまさに夫その人であると思えてくる。(24〜25頁)


と適切に解釈している。さらに〈この作品では、自らの心を過ぎる「魔」が捉えられ、身近な夫もまたその「魔」を湛えてある〉としつつ、

 家族こそ他者の集う場でもある。(25頁)


といった箴言風の言葉でこの一首の鑑賞文を結ぶ。葛原の歌の鑑賞であると同時に、歌人川野里子の世界もかいま見せる、本書前半屈指の佳編。


(2019.8.13 記)

長き髪ひきずるごとく貨車ゆきぬ渡橋をくぐりなほもゆくべし

 (『飛行』白玉書房、1954年)


 『飛行』の中では比較的よく知られた一首。「髪の重たさを与えられた貨車は、髪の重さのみならず人間の女の心の重たさまで引きずるようなのだ」というのが川野さんらしい、フェミニズムの視点を重視した鑑賞の仕方だと思う。

 「渡橋」はトキョウ(トケフ)と読むのだろうが、見慣れない語だ。この語に、川野さんは次のように注を付けている。

 「渡橋」は川に架けられた橋の他に線路を跨ぐように架けられた高架橋などいろいろ考えられる。だが、この作品の遠景となった貨車を長く見送る視線を思えば、高架を潜るような狭い風景ではなく広い川に架けられた橋を想像するのが自然だろう。「くぐり」とあるのは、トラス橋のような骨組みの覆いがある橋を思えば良いのだろうか。


 渡橋は川に架けた橋の意だという。そうかなあ……というのが率直な感想。川の橋なら、わざわざ渡橋などという特殊な語をひねり出して使用することもないだろうという気がする。また、「くぐる」という動詞でもってトラス橋を渡ることを表すのは、ちょっと無理だと思う。

 ここは逆に、線路を跨ぐ陸橋、と解する方が穏当ではないか。少し実証風に言うなら、葛原が住んでいた東京都大田区には、貨物列車専用の品鶴線があった。現在横須賀線として使用されている路線である。その一部区間は掘割を走っており、上には当時も今も跨線橋が数本架かっている。しかも、そこはちょうど長い直線区間で、橋の上から見ると「遠景となった貨車を長く見送る」ことができたのだ。

 「むーさんの鉄道風景」というウェブサイトに、ほぼ同時代の品鶴線の貨物列車を跨線橋から見下ろす写真が掲載されている。貴重な写真なので、ぜひご覧ください。


(2019.8.12 記)


 上の記事で「切り通し」と書きましたが、工事用語で「掘割」と呼ぶとのこと、ご指摘を受けました。その通りに訂正します。丘陵地帯の地面を低く掘り下げて線路を通す掘割は、線路の勾配をなくす、交差する道路を跨線橋で通して踏み切りをなくす、といった利点があるそうです。


(2019.8.12 追記)

 当ブログの8月8日付の記事に追記しました。


(2019.8.11 記)


ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず

 (『葛原妙子歌集』三一書房、1974年)


に対する川野さんの鑑賞は、

 ヴィヴィアン・リーといえば映画版『風と共に去りぬ』(昭和14年)でのスカーレット・オハラ役で知られる。あの片方の眉をきゅっと引き上げた気の強そうな美貌は作品のイメージを代弁している。
 しかし、葛原はこの映画のヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている。詩人はしばしば言葉を意味以前の音として感受する。確かに「ヴィヴィアン・リー」は鈴を振るような軽やかな金属音のようで、嫋やかで可憐な女性が想像される。それゆえあえて「手弱女」とよぶのだが、この言葉は葛原の語彙のなかでは珍しいと言えよう。(略)日本女性の背負ってきた家制度の重圧が未だ見ぬ表現の可能性を持っているかもしれないと訴えた葛原が、「手弱女」のようななよなよとした女性像を肯定するとはとても考えられない。むしろかなり皮肉な使い方なのではないか。(18〜19頁)


 ここも幾分、私見との違いがあると感じた。まず、『風と共に去りぬ』の「ヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている」との見解である。

 スカーレット役のヴィヴィアン・リーは、確かに手弱女の一般的な印象からは遠い。スカーレット・オハラについて言うなら、掲出歌の作者はその人物像に興味がなさそうにも見える。ただし、このような見方が有効であるのは、葛原が『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーを知りながらこの一首を作っていた場合に限られるだろう。実際のところは、どうだったのか。

 私の見立てでは、少なくともこの一首の着想を得た時点では、葛原は『風と共に去りぬ』を観たことがなかった。そして、最終案を『葛原妙子歌集』に載せた時点でも、おそらく『風と共に去りぬ』は念頭に無かったのだ。

 掲出歌の初出は『潮音』1951年1月号。その時の歌の形は次の通りだった。

ヴィヴィアン・リーと鈴ふる如き名をもてる女優ありき清き接吻ありし映画


 アメリカ映画『風と共に去りぬ』の本国での公開年は川野さんの記す通り、戦前の1939年だが、日本公開ははるかに下って戦後の52年。日本人が戦時中に外地でこの総天然色の大作を観て国力の差を実感し敗戦を覚悟したという話も伝わっているし、作家の林京子なども42年夏に上海の日本租界で観たと書いている(『ミッシェルの口紅』中央公論社、1980年)。しかし、葛原は50年以前に外地・外国に渡ったことがない。掲出歌の初出以前に葛原が『風と共に去りぬ』を観ていた可能性は、ほぼ皆無なのだ。

 では、葛原が観ていた映画は何だったのか。50年までに日本で公開済みのヴィヴィアン・リー主演の映画は『哀愁』(40年製作、49年3月日本公開)、『シーザーとクレオパトラ』(45年製作、50年9月日本公開)。「清き接吻ありし映画」との評言にふさわしいのは、誰がどう考えても『哀愁』だろう。

 そこで注意したいのは、『哀愁』のヴィヴィアン・リーである。蝋燭の火が照らす中、若い将校にリードされてワルツを踊るヒロイン、マイラ・レスターはもちろん美しいが、それでも平凡な市民だ。彼女を「可憐」と呼ぶなら、呼んでもよいと思う。これを見れば、「片方の眉をきゅっと引き上げた気の強そうな美貌」のスカーレットはプロフェッショナルな俳優の役作りによるところが大きかったことが分かる。



 こうしてみると、『風と共に去りぬ』の「ヴィヴィアン・リーには興味はなさそうで、その名前から想像力を膨らませている」との見解には修正の余地があると言わざるを得ない。「名前から想像力を膨らませている」にしても、単にそれだけではないだろう。「手弱女の髪のなびくかたをしらず」の最終案に至ってなお、その想像には『哀愁』のマイラの人物像が影響していたと思われるのだ。

 ところで、川野さんは〈葛原が、「手弱女」のようななよなよとした女性像を肯定するとはとても考えられない。むしろかなり皮肉な使い方なのではないか〉というのだが、この見解にも異議がある。初出の「女優ありき清き接吻ありし映画」は、明らかにその女優と映画を肯定している。そして、改稿後の「手弱女の髪のなびくかたをしらず」も、手弱女のヴィヴィアン・リーを肯定していることに変わりはないように私には感じられる。

 思うに、川野さんも私も「手弱女の髪のなびくかたをしらず」の解釈は同じなのではないか。ただ、川野さんはフェミニズムの視点から葛原を評価しようとする。だから、手弱女に肯定的な言葉は「皮肉」と取りたくなる。しかし、「日本女性の背負ってきた家制度の重圧が未だ見ぬ表現の可能性を持っているかもしれないと訴え」る人が同時に可憐な手弱女に心引かれ、感情移入したとしても、さほど驚くことでもないのではないか。一見互いに矛盾する思想や感情が一人の人間のうちに同居することは、むしろありがちなことではないか。葛原の歌に手弱女への心寄せがみとめられるとしたら、それはそれとして一旦みとめればよいと私は思う。

 ある日、彼等はやって来たアメリカ占領軍の人々に、従来みずからが配属していた研究所、他、一切の引渡しを行った。翌日、一人のもと海軍将校はしっかりとゲートルを巻き、浅間の北麓をゆき、上信の分水嶺を越え、折からあらわれた草津白根の雪のいただきをみたのであった。(『孤宴』小沢書店、1981年)


 穴澤芳江『我が師、葛原妙子』(角川文化振興財団、2017年)を参照する限り、森岡貞香が葛原に関する講義で証言していた「イチニントノデアイ」の「イチニン」とは、どうやらこの「海軍将校」であるらしい。ロバート・テイラーが演じた『哀愁』のクローニン大尉に葛原は「イチニン」の面影を重ねていた——と私などは推測してみるのだ。もちろん、これは論証できる話ではない。


(2019.8.10 記)

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ

 (同)


に言及した塚本邦雄『百珠百華:葛原妙子の宇宙』(花曜社、1982年)の一節、

 「素晴らしき人生」などといふ綺麗事はこの時、作者も、この言葉を奉られる處女も、てんで信じてはゐない。


を川野さんは次のように批判している。

 ところで塚本は「をとめ」に迷うことなく「處女」の字を当てている。「レモン」と「ナイフ」の光彩がもたらす幻惑なのか、男性の読みはあっけなく処女幻想に絡め取られがちだ。(9頁)


 しかし、「男性の読みはあっけなく処女幻想に絡め取られがちだ」というのはどうだろう。こういった見方の裏に、偏った男性観こそが潜んではいないだろうか。

 処女(ショジョ)は今日では単に性的経験のないことだけを強調する言葉になっているが、古典の処女(ヲトメ)が同様であるかは議論の余地がある。『百珠百華』に見える「檸檬處女」(レモンヲトメ)なる造語には、塚本の古典趣味が明らかだ。塚本が「をとめ」に「處女」の字を当てるのは、処女幻想というより、この古典趣味のためだと見るのが穏当だと私は思う。


(2019.8.9 記)

とり落さば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

 (『橙黄』女人短歌会、1950年)


については、『潮音』1942年11月号掲載の旧作、

柘榴一顆てのひらにあり吉祥の天女ささぐる宝珠のごとく


を引いた上で、川野さんは次のように述べている。

 ここでの柘榴はいかにも軽い。(略)作品としても今ひとつの迫力に乏しく美しく纏まってしまっている。それに対して冒頭のざくろは重く、危ういほどの力を秘めている。戦中から戦後へ。柘榴のこの重量の大きな変化こそ、葛原の内面の変化に他ならない。(略)葛原はその危険なほどに激しい炎に怯えつつ、しかし無限の重量を自ら支えようとする意思を滲ませている。(7頁)


 一つの素材やモチーフを作品化するのに長い時間をかけるのは葛原妙子の特色で、手のひらの上の柘榴もその一例だろう。戦中の「天女ささぐる宝珠のごとく」と戦後の「とり落さば火焔とならむ」を比較し、「柘榴のこの重量の大きな変化こそ、葛原の内面の変化に他ならない」と指摘するところは説得力がある。

 なお、この一首の「耐ふ」に川野さんが次のような注を付けているのが注意される。

 初版本『橙黄』では「耐」となっているが、昭和四十九年九月に三一書房より刊行された『葛原妙子歌集』では「耐ふ」と記す。また二〇〇二年刊行の砂子屋書房版『葛原妙子全歌集』でも「耐ふ」となっている。(6頁)


 柘榴の一首を掲出する際、初版本の脱字を後年の本にしたがって補った、ということだろう。ただ、不思議なことに、私の手元にある『橙黄』初版本には脱字がない。

touou-069.jpg

touou-oku.jpg

 「ふ」の字がやや右にずれているのが気になるが、ともかく脱字がないことは確かだ。拙文を記すに当たり神奈川県立図書館の所蔵本も見てみたが、やはり脱字はなく、明らかに私が持っている本と同版だった。同じ奥付の本でも異版があるのだろうか。


(2019.8.8 記)


 神奈川近代文学館の所蔵する『橙黄』初版本も見てきた。脱字はやはり無かった。しかし、今度の調査結果で重要なのはそのことではない。なんと、これまでに見た二冊とは違い、「ふ」の字の位置が「耐」のほぼ真下だったのだ。

 そこで、もう一度神奈川県立図書館に行き、その所蔵本と私の持っている本を並べて見比べた。なるほど、同じように右にずれている「ふ」の字であるが、傾き具合が実に微妙に異なっている。

 私の推測はこうだ。——『橙黄』初版本は、問題の「ふ」の字が脱けたまま印刷された。その後、一冊一冊、「ふ」の活字を人の手でスタンプのように押して補った。川野さんが見た本は、それを押す前に(あるいは押し忘れたまま)出回ってしまったものだろう。

 上の記事のうち、末尾の前の「明らかに私が持っている本と同版だった。」を削除したい。


(2019.8.11 追記)

 これも笠間書院のコレクション日本歌人選の一冊で、葛原妙子研究の第一人者である川野里子さんの新著。例によって葛原の秀歌五十首を選び、鑑賞文を付けている。まだ前半を読んだだけだが、注目したところを忘れないうちに書き留めておこう。

アンデルセンのその薄ら氷(ひ)に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす

 (『橙黄』女人短歌会、1950年)


について、川野さんは次のように書く。

 初句、結句が大幅な字余りであるこの作品は、不安な印象を与える。さながら、アンデルセンの冷えの世界に滑り落ちてゆくようでもある。この不安と冷えの感覚こそは近代短歌にない、戦後を生きる感覚であった。(3頁)


 この一首の「不安と冷えの感覚」に戦後短歌の特徴を見出そうとしている。先行研究には無い主張で、興味深い。ただ、そういった感覚が近代短歌に見当たらないと指摘するためには、もう少しその現代性を説明する必要があると思う。

水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし

 (同)


については、

 葛原は疎開先の浅間山麓で終戦を迎えるが、敗戦の現実感のない山中にも陽炎は立ちのぼっていた。(略)自らも大地とともに気体となって頼りなく揺らぎながら、葛原は「依らむものこの世にひとつなしと知るべし」と自らに言い聞かせる。まさにこの時、頼りにし、信じてよいものなど何一つこの世にはないという確信に至るのである。(4〜5頁)


 この「水かぎろひ」を特に終戦時のイメージとして捉える解釈も従来無かったはずで、強く印象に残った。論証は困難だろう。ただ、自由な鑑賞にゆだねてよいところだとも思う。川野さんの鑑賞は魅力的で、これをいたずらに否定するのはつまらない。


(2019.8.6 記)


 うっかりしていたが、「水かぎろひ」の一首は『橙黄』では「停戦」というタイトルの付いた一連より前に置かれている。つまり、歌集中の設定では終戦前の歌なのだ。このあたり、川野さんはどう考えているのだろう。魅力のある鑑賞をなんとか生かしたい。


(2019.8.7 追記)

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Author:和爾猫
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