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 日本はニホン? ニッポン? どちらでもかまわないでしょ?

 ただ、そう言えない場合もあるか。たとえば、(1)明確に読み方が決まっている場合。東京の日本橋はニホンバシで、大阪の日本橋はニッポンバシ。また、(2)特に決まってはいないのだろうが、明らかにどちらかでしか読まない場合。日本語はニッポンゴではないだろうし、日本海はニッポンカイではないだろう。あるいは、(3)一般にはどちらでも読まれるものの、本来の読み方が決まっている場合。日本銀行はニッポンギンコウでもニホンギンコウでもよさそうなものだが、紙幣には NIPPON GINKO とある。


     §


 『岩波現代短歌辞典』(岩波書店、1999年)は引用歌に

にび色の秘密色の丘の象形文字原始たそがれ永遠未来

  加藤克巳


があるのがありがたい。巻末の引用歌上句索引を見ると「日本」から始まる歌が七首あるが、「にび色」の前に並ぶものはニッポン、後に並ぶものはニホンと編者が訓じたことが分かるからだ。前者は三首。

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も

  塚本邦雄


日本の近代の裔(すゑ) 写実的前衛派なる病葉(わくらば)あはれ

  岡井隆


日本の民衆と大衆と犇きて追いかけあえる環状電車

  岸上大作


 岡井と岸上の歌の第一句はニホンノでは字足らずだから、ニッポンノと読むのが自然だ。塚本の一首は、ニホンダッシュツの方が初句七音で穏当な気がするが、そこをわざわざニッポンダッシュツと読むのは、何か根拠があるのだろう。ついで、後者の四首。

日本海の荒ぶる波の一生(ひとよ)とも肌すり生きてなおし雪の香

  坪野哲久


日本語は今も清しくあるらむと海渡り吾が帰り来にけり

  小暮政次


日本に住み、
日本の国のことばもて言ふは危ふし、
わが思ふ事。


  土岐善麿


日本列島山林構成は多く山毛欅帯なり冬されば樹幹しろじろ光る

  前田夕暮


 哲久の「日本海」と小暮の「日本語」は上記(2)の通りで、当然ニホン。夕暮の「日本列島」も同断か。善麿の歌は第二句をニホンノクニノと読むと音数が合うので、第一句もニホンニスミと読むべきなのだろう。


     §


 日本歌人クラブはニホンカジンクラブと呼ぶらしい。では、戦前の大日本歌人協会や商業誌『日本短歌』は? 前川佐美雄創刊の『日本歌人』は?

 『岩波現代短歌辞典』、および『現代短歌大事典』(三省堂、2000年)は、ともにダイニホンカジンキョウカイ、ニホンタンカ、ニホンカジンと訓じる。『現代短歌大事典』の日本歌人の項の執筆者は、1992年以来同誌の編集発行人を務める前川佐重郎。少なくとも90年代以降に同誌のタイトルがニホンカジンと呼ばれてきたことは間違いないだろう。

 注目したいのは、上の二冊の辞書より二十年余り古い角川『短歌』1978年9月臨時増刊号の「現代短歌辞典」である。こちらの本では、一部の読み方が異なっている。『日本短歌』が同じくニホンタンカである一方、大日本歌人協会はダイニッポンカジンキョウカイ、『日本歌人』はニッポンカジンなのだ。

 日本短歌の項の執筆者は、同誌の編集発行人だった木村捨録。同誌がニホンタンカと自称していたことは確実だろう。対して、大日本歌人協会と『日本歌人』はどうか。

 大日本歌人協会の項の執筆者は、同名の著書(短歌新聞社、1965年)を持つ冷水茂太。冷水は同書執筆に際し、同協会の中心人物だった土岐善麿に直接取材している。善麿がダイニッポンカジンキョウカイと呼んでいたことはほぼ確実だろう。

 日本歌人の項の執筆者は、同誌同人の宮崎智恵。これは当時の同人たちがニッポンカジンと自称していた証拠ではなかろうか。同誌については、さらに興味深い資料がある。次に引くのは、佐美雄が書いた同誌創刊号(1934年6月)の編集後記の一節。

 可笑な話だが最初はこれを「菊」にしようか「鷲」にしようかと迷つたものだが誰いふとなく「日本歌人」がよからうといふ事になり、つひに「ニツポンカジン」となつたのである。


 まず決定的な証拠だろう。つまり、同誌の自称は、創刊時はニッポンカジン。それは、その後も長らく変わらなかった。ところが、佐美雄から次代に編集発行人が交替する前後、いつの頃からか次第にニホンカジンが優勢になった、と考えてよさそうだ。


(2019.7.30 記)

 鼓直氏が亡くなったことを人づてに聞いたのは、4月4日のことだった。同じ日、御葬儀がとり行われたという。それから毎日、新聞の社会面を注意して見ていたが、訃報はなかなか出なかった。したがって、ウィキペディアの「鼓直」の項も、没年月日の記載が無いままだった。

 結局、訃報が新聞各紙に一斉に載ったのは29日になってからだ。なぜこの日だったのか、分からない。

 後で調べてみると、神戸市外国語大学のウェブサイトには、氏の死去を知らせる文章が15日付で掲載されていた。同大には氏の薫陶を受けた関係者がいるから、新聞報道より情報が早かったものと思われる。なお、ウィキペディアの編集履歴を確認したところ、26日に同大の情報を典拠として没年月日が追記されていた。

 さて、ここに不審なことが一つある。同大ウェブサイトも新聞各紙も一様に氏の亡くなった日付を「4月2日」としたことだ。私が伝え聞いている日付は「4月2日」ではない。それは御葬儀で喪主の御挨拶を直接聴いた方から私まで伝わってきた情報だから、まず間違いのないものだろう。

 そこで思うのは、新聞報道の正確性とはこの程度かもしれないということだ。しかしまた、こうも思う。世間がみとめる「事実」とは「4月2日」の方であって、過去の事柄の調査も、あるいは「4月2日」を発見した時点で完了するのではないか。


(2019.7.17 記)

 『現代短歌新聞』6、7月号に続けて小文を書かせてもらった。押切寛子『石川信夫の中国詠』(鶫書房)、それから松村正直『戦争の歌』(笠間書院)のブックレビューだ。どちらも編集部から指示された仕事だが、たまたまなのかどうか、この二冊の本には共通項があった。石川信夫の歌の背景は当然日中戦争。そして、松村さんの本もまた、日中戦争に関係する歌を何首も掲出しているのだ。

 小文を書くため、私はしばらくこの戦争について勉強しなければならなかった。その際、一つ分かったことがある。ウェブ上にはこの戦争の諸相を直接知らせてくれるような資料が少ない、ということだ。

 たとえば、作戦に関する細々とした事柄について検索してみる。よく引っかかるのは、平和祈念展示資料館のサイト。ここに元兵士らの手記が多数掲載されているのだ。そして、ここ以外にこれと思うページが見当たらない、ということが珍しくない。

 そこで、私は平和祈念展示資料館の元兵士らの手記をかなり読んだ。どれも戦争を直接体験した人たちの貴重な証言と思われ、興味深かった。

 ところが、である。あるとき、気付いてしまった。それらの手記は、注意深く読まなければ間違える。そこには信頼できる情報とできない情報が混在している……。

 もちろん、回想談に部分的に誇張や隠蔽があることは想定の範囲内。記憶違いがあることも不思議ではない。しかし、なかには、それにとどまらない例もあるようなのだ。次に引くのは、1939年に応召し、42年の召集解除まで砲兵として数々の作戦を体験したという、河越三治郎氏の手記「靖国行きの片道切符:第一次長沙作戦」

 私は召集を受けてから満三年半、中国大陸の中支といわれる戦地で勤務し、内地での初年兵時代、外地での迫撃砲第一大隊での訓練、警備、作戦と、連続した軍務に服し、宜昌作戦、長沙作戦等を体験した。


 このように軍務の概要を述べた後、「第一次長沙作戦の前期での体験を記す」と前置きをして具体的な体験談に入るのだが、それがおかしいのだ。

 八月の声を聞くと、大作線の噂が広まった。正式には何の指示もなかったが、兵隊は耳利きして電波のように伝わる。
「軍は岳州地区に弾薬、食糧等々の集積を始めた。負傷者の収容に備えて兵站病院は患者を退院させるか後送しているそうだ。恐らく長沙に違いない」とまことしやかに触れるのだ。連隊長に伺うと「そんなことを言っているのか。具体的には知らんが、何があっても良いように準備しておけ」と驚かれた。戦場では何事でも生死に直結するから、機密中の機密が兵の五感で察知され口コミで電波のように伝わった。


 手記の筆者は当時迫撃砲第一大隊の上等兵だったようだが、その一兵士が連隊長と親しく言葉を交わしている。常識ではあり得ないことだろう。実は、この引用箇所には種本があるのだ。次に引くのは、佐々木春隆『長沙作戦』(図書出版社、1988年)の一節である。

 やがて、落雀の候に入り、八月の声を聞くと、大作線の噂が広まった。正式には何の指示もなかったが、兵隊さんが「軍は岳州地区に弾薬の集積を始めた。負傷者の収容に備えて兵站病院は患者を退院させるか後送しているそうだ。恐らく長沙に違いない」とまことしやかに触れるのだ。連隊長に伺うと「そんなことを言っているのか。具体的には知らんが、何があっても良いように準備しておけ」と驚かれた。戦場では何事でも生死に直結するから、機密中の機密が兵の五感で察知され、口コミで電波のように伝わるのである。


 先の手記とほぼ同文だ。佐々木氏はこのとき陸軍士官学校を卒業して一年ほどの少尉で、連隊旗手だった。だから、連隊長と接する機会も多かった。当然ながら、佐々木氏の記述に違和感は一切ない。先の手記の引用箇所は、佐々木氏の著書を引き写したものにほかならない。

 しかし、平和祈念展示資料館は手記を掲載した上に、もっともらしい解説まで付けている。私などは知識がないのだから、まず信じてしまう。注意を要するということだ。


(2019.7.15 記)

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Author:和爾猫
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