工兵の支ふる橋を渡るとき極まりて物をいふ兵はなし
山口茂吉『赤土』(1941年)
本書の口語訳は、
工兵が肩で支える橋を渡る時に思いは極まって、ものを言う兵は誰もいない。
原歌にない「肩で」を補っているのが著者の工夫で、これ自体が適切な解釈の提示だと思う。鑑賞欄にも、
昭和十二年七月の盧溝橋事件により始まった日中戦争は、八月の第二次上海事変以降、上海から南京にかけての揚子江下流のデルタ地帯が主な戦場となっていた。このあたりはクリークが多い場所として知られており、掲出歌はクリークを渡る際に工兵が仮橋を渡して、それを水の中に入って肩で支えている場面である。
とある。「肩で支えて」と解する根拠を示していないが、しかるべき史料を確認済みなのだろう。私などの想像の及ばない前線の模様だが、軍事の分野では「肩で」というのは常識的な事柄なのだろうか。また、当時の日本では「肩で」とことさらに説明しなくても通じたのだろうか。
(2019.5.12 記)
一部の記述を改めました。全体の要旨は変えていません。(同日追記)