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鏡なす月夜和多津美(つくよわたつみ)はてなくて翔(と)ぶ機の影ぞ澄み移るのみ

  穂積忠『雪祭』(1939年)


 日中戦争初期のいわゆる「渡洋爆撃」に取材した連作「月夜南京空爆之歌」のうちの一首。本書鑑賞欄には、

 満月の照らす海の上を飛んでいく飛行機の姿が美しく描かれている。(略)「鏡なす」「和多津美」「澄み移る」といった古風な言い回しを用いて、戦争を美しく詠んでいるところに特徴がある。


とある。「機の影」は字音語「機影」を大和言葉風に訓み下したものだろうし、機影の語意は「飛んでいる飛行機の姿」(大辞林)であるから、「海の上を飛んでいく飛行機の姿が美しく描かれている」という解釈も誤りとは言い切れない。ただ、月夜の海を「鏡なす」と表現していることを考えると、どうだろう。その設定を生かすには、海面に航空機の影が映っていて、それが移動してゆく、と解した方がよいと私は思う。

 ともあれ、上の引用箇所には重要な問題提起が含まれている。戦争に取材した詩歌の美をどう評価するか、である。当時の戦争記録画等の問題とも重なるものだろう。

 引用文の指摘の通り、掲出歌は美しい。一点の人工物を置くことで、月夜の海の美はより一層強調されていると思う。「和多津美」の表記の効果も見逃せない。これについて、引用文が「古風な言い回しを用いて……美しく」といった評価にとどめているのは、むしろ物足りなく思われる。『雪祭』は釈迢空の影響を受けた特異な文字遣いが散見される歌集ではあるが、万葉仮名の使用はこの一箇所だけだ。その一種異様な文字の連なりは、それが述べ表す情景にロマンチシズムの彩りを加える効果がある。

 ところで、なぜ夜間の飛行なのか。取材先が現実の戦争である以上、そこには明確な理由があった。戦史によれば、日中戦争における日本軍の都市空爆は当初中国軍の迎撃を受けて多大な損害を被ったので、より安全な夜間に高高度から行うことになったというのだ。しかし、そのような戦法を採りつつ軍事施設等の限定された区域に確実に目標を定めることは、当時の技術では困難だった。そのため、多数の民間人が死傷することとなったのである。

 本書鑑賞欄がこれも正しく指摘する通り、穂積忠は掲出歌のような光景を実際に「見たわけではなく、新聞等のニュースから想像した」のだった。そして、空襲にさらされた中国の各都市の模様を、当時の報道はもちろん正確には伝えていなかった。したがって、穂積が空爆の実態を作中に全然取り込まなかったのも、やむを得ないといえばやむを得ない。しかし、知識のある現代の読者がこの歌の美を美として享受することをためらうとしたら、それもまた自然な反応だろう。

 概念的で平凡な戦意高揚歌なら採らなければよいというだけだが、掲出歌は歌としておもしみがあるから困る。本書の筆者は必ずしもこの歌を高く評価しているわけではないだろう。ただ、それをアンソロジーの一首に選ぶことで一石を投じたのだと思う。


(2019.4.5 記)

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Author:和爾猫
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